10月21日、22日、岡谷市にある照光寺で文楽(人形浄瑠璃)の公演が行われます。上演される演目は『本朝二十四孝 奥庭狐火の段』。歌舞伎や文楽では定番の演目のひとつです。そして、実はこの演目は諏訪を舞台にしたものでもあります。
上杉謙信の娘・八重垣姫の、許嫁である武田勝頼(武田信玄の息子)との恋をめぐる物語で、クライマックスでは結氷した諏訪湖を渡るスペクタクルが展開されます。本業の太夫・三味線・人形遣いが来て行う今回の公演も、チケット発売後すぐに完売という人気となりました。
歌舞伎・文楽では「三姫」のひとりに数えられ、諏訪湖に像も建っている八重垣姫ですが、地元・諏訪では知らない人も多いのが現状。そんななかで、この諏訪の地で実際に文楽を見てもらおうと企画されたのが今回の「SUWA×文楽」の公演というわけです。
今回は、この公演を実現させるきっかけをつくった信州しもすわ温泉ぎん月の若女将・武居智子さんと、小宮祭で八重垣姫の人形飾りをつくったりもしている八剱神社の宮坂清宮司に登場していただき、八重垣姫のこと、文楽の魅力、そして諏訪という土地で上演する意味などについて話していただきました。
赤い着物がつないだ縁
——おふたりのどんなきっかけで出会ったんですか?
武居 最初の縁は着物でしたよね。
宮坂 そうそう。
武居 下諏訪町が町民向けに冠婚葬祭なんかの衣装の貸し出しをやっていたんです。だけど、それも借りる人が少なくなってきたから、ほしい人に差し上げます、となって。新聞でその告知を見たんです。
宮坂 僕もそれを見ました。花嫁衣装とかもあるって書いてあったから、きっと華やかなものもあるぞ、と。
——宮坂宮司が花嫁衣装を?
武居 「なんで?」って思いますよね(笑)。私は旅館組合で着物を着て町巡りをする企画があって、その衣装を探してたんです。ひな祭りのイベントで飾ったりしてもいいですし。
宮坂 僕は八重垣姫の衣装を探してたんです。前回の御柱祭のとき、八剱神社の小宮祭で人形飾りをやったんです。八剱神社ではかつて小宮祭のときに地区の氏子たちが手づくりで大きな人形飾りをつくっていた。何メートルもある大きなものですよ。時代とともに途絶えてしまったんですが、僕は何とか復活させたくて。それで、自分で企画してつくることにしたんです。その題材が八重垣姫だった。
——今回上演される『本朝二十四孝 奥庭狐火の段』のヒロインですね。
宮坂 そうです。歌舞伎・文楽で爆発的に人気になった演目とその姫役を「三姫」と呼ぶんですが、それが『鎌倉三代記』の時姫と『祇園祭礼信仰記』の雪姫、この『本朝二十四孝』の八重垣姫です。姫役は赤姫と呼ばれるように、赤い着物を着ることが多い。だから、赤い着物がほしかったんです。
武居 八重垣姫を知っている方がここにいたんだって思いました。私は東京にいるころからずっと文楽の追っかけをしていたので、もちろん知っていたんです。文楽では非常に有名な演目ですので。でも……
宮坂 地元で知っている人は意外と少ないですよね。諏訪に縁のある話なのに。
武居 そうなんです。ほかの地域の人の方がよく知っていたりする。
宮坂 諏訪湖には八重垣姫の像も建っていますよね。でも、地元の人は何の像なのかよく知らなかったりする。八重垣姫は上杉謙信の娘で、武田信玄の息子・勝頼の許嫁という役柄です。姫は危機に陥った勝頼を救うために「法性の兜」という兜を持ち出して、狐火に導かれて結氷した諏訪湖を渡る。この場面が名シーンなんです。小宮祭の人形飾りでもこの場面をつくりました。
武居 それで、下諏訪町の衣装譲渡のときふたりとも赤い衣装をほしがって火花を……(笑)。最終的に、宮司の方が公共性もあるだろうし、そういうことならとお譲りしました。
「三業」がつくり出す文楽の物語世界
——『本朝二十四孝』と八重垣姫は、歌舞伎や文楽の世界では有名ですが、地元では知らない人が多いですよね。文楽というもの自体ピンとこない方も多いかもしれません。
武居 文楽という言葉自体ピンと来ない方もいるでしょうね。人形浄瑠璃と言った方がわかる人もいるかもしれません。語りをする太夫、演奏する三味線、人形を動かす人形遣いの「三業」が一体になって行う劇です。私の世代だとNHKで人形劇をよくやってたんですよね。『南総里見八犬伝』とか『三国志』とか。だから人形劇自体に馴染みはあったんです。東京に出て行って歌舞伎や落語といった古典に触れるようになったんですが、そのときに文楽にがっつりハマって……。
——いろんな古典のなかでも特に文楽にハマったのはどうしてなんでしょう?
武居 歌舞伎と文楽って演目自体はほとんど同じなんです。ただ、歌舞伎は「役者で見に行く」という人が多いんですよね。「この人とこの人の共演はもう最後かもしれない」とか「この人がこの役を演じるのを見たい」とか。もちろんそれはひとつ大きな魅力なんですが、私はどちらかというと演目を中心に楽しむタイプなんです。演目を見に行く感覚が大きいので文楽にハマったのかな、と。もちろん文楽の世界にも人間国宝になった方とかもいらっしゃるし、その方の技を見る側面もあるんですが、私自身は物語世界とか、三業の方たちのつくり出す世界観に強く惹かれているんです。今回は本当にやっていらっしゃる三業の方が全部いらっしゃいます。
宮坂 義太夫節を生で聞く機会なんてなかなかないですよ。あの独特の七五調で迫力がある語りはすごい。反面、義太夫の語りなんかも今の言葉と違うところがあって、それがわからなくなるとなかなか筋も追いづらくなるから、そこで難しいイメージを持っている人はいるかもしれない。
武居 ただ、今回上演する『本朝二十四孝 奥庭狐火の段』は、もともとの話もラブストーリーなので子どもでもわかりやすいと思います。さらにトークショーでお話の解説などもしてもらって、理解を深めてもらうようにしています。
宮坂 ここでやった人形飾りでもあらすじの解説をいっしょに置きました。ちょっと知っているとわかりやすいから。
全国的にもキャッチーだった諏訪という土地
——ここで文楽を上演するというのはどういう経緯で決まったんですか?
武居 いつか諏訪で『本朝二十四孝』をやりたいとは思っていたんです。諏訪湖が凍る話を、実際に諏訪でできたら最高じゃないですか。文楽を追いかけているうちに演者さんであったりとか、関係者の方と仲良くなっていって、その中のひとりとは「いつか諏訪でできたら」と話していました。そうしたら、今回たまたま「諏訪神仏プロジェクト」が立ち上がった。諏訪大社下社の本地仏で照光寺の秘仏として保存されている「千手観世音菩薩像」も特別公開されています。これは武田勝頼が大切にしていた仏さまでもある。そんな話から「八重垣姫をここで……」なんて話をしたら「いいですね」と。そこからトントンと話が決まっていったんです。巡り合わせですね。
宮坂 諏訪ってすごいなって知ってもらうきっかけにもなると思うんです。さっきも話したように『本朝二十四孝』は江戸時代に爆発的に人気になったお話です。その結果、いろんな影響が生まれた。たとえば、この話では八重垣姫を白狐が先導するんですね。そこから、諏訪明神のお使いは白い狐だという認識も広がったんです。もともとはそんな話はありません。でも、それくらいこの話が流行って、影響を持ったというわけです。
——物語に組み込まれて受け入れられるくらい、諏訪大明神というのは当時広く知られていた存在でもあるんでしょうね。
武居 そうでしょうね。それに、諏訪が中山道と甲州街道の合流点だったというのもすごく大きいと思います。交通の要所だった。葛飾北斎なんかが諏訪湖越しの富士山とか御神渡りの絵を残しています。そういうものを通して江戸や関西の人にも諏訪という場所が知られていったというのもあると思います。『本朝二十四孝』は武田と上杉のお話ですよね。そういう当時の人々の興味を引きそうな要素をギュッと凝縮したような物語なんだという感じです。
育った土地の特別さに、いつか気づく日のために
——諏訪という土地に興味を持つきっかけになる話ですね。
武居 ただ、基本的には私が昔NHKの人形劇を何となく楽しんでいたのと同じように、何となく面白かったと思ってもらうだけでいいと思うんです。『奥庭狐火の段』は早変わり……一瞬で八重垣姫の衣装が替わるスピード感のある場面もあって、スペクタクル感がある演目なので、単純に見ているだけでも面白いですから。それで「あれ、これって諏訪湖じゃん」って思って、そこからこの地域について興味を持ってもらったり、大人になってから「そういえば昔見たな」って思い出したときにまた何か興味を持つきっかけになればいいなって。
宮坂 自分の生まれた土地にこんな素晴らしいものがあるんだって知ってもらいたいですよね。『本朝二十四孝』もそうだし、小宮祭の人形飾りもそう。小さな神社なのでたくさんの人が来るわけではないし、できることは限られていますけど、そういうところから少しずつ広がっていくといいなと思ってます。この神楽殿でも、ちょうど絵画展をやっていたんです。ここにかかっている350年前に高島藩3代藩主が寄進した絵や400年前に建てられた神楽殿という場所で現在のアートを展示できるというのをとても喜んでくれた。美術館や国立劇場みたいな場所ができたのはまだまだ最近のことです。それ以前は、神事として舞を行ったりするこういう神楽殿みたいなところが芸能・文化の拠点だったわけです。いろんな機会で触れてもらって、地域のことに興味を持ってもらいたいですよね。知れば、また誰かに話すときに諏訪湖や御神渡り、八重垣姫といった話もできる。そこから郷土に対する気持ちも醸成されていくでしょうから。
武居 人というのはやっぱり風土や土地というのがつくっていくものでもある。だから、願わくばすごい場所、特別な場所で育ったんだというのを、いつか気づいてもらえるような種を、少しずつ子どもたちとかいろんな人に撒いておけたらいいなと思っています。