“火のある暮らし”を、八ヶ岳から全国へ。国産薪ストーブ「ケンズメタルワーク」

こんにちは、諏訪旅ライターおいちゃんです。

八ヶ岳山麓の森の中、親子で薪ストーブを作っている人がいる。
そんな噂を聞きつけ、森の鍛冶屋こと「ケンズメタルワーク」さんに伺ってきました。

長野県茅野市、ハンドメイドで薪ストーブを製作している高橋 憲三さん(左)と息子の和雅さん。

北海道出身の憲三さんのファーストキャリアは、なんと船舶エンジニア! そこから何がどうなって海がない長野県の山の中で薪ストーブをつくることになったのか。ゆらゆら揺れる薪ストーブの火を眺めながら、熱いお話が伺えました◎

漁師町から山の中へ。

ケンズメタルワークの工房。茅野市と原村の境くらいの森の中にあります。

憲三さんは北海道のご出身なんですね。
はい。北海道の松前の出身です。18歳まで北海道にいて、そこからしばらくはずっと海外を回ってました。外国航路の船に乗って、エンジニアとして働いていました。
そうなんですか! それは小さい頃からの夢で?
夢っていうか……親父が船方で、まあ自分もそうなるかなと。松前は漁師町なので、同級生は中学終わったら大体漁師なんですよね。でも僕はもっと広く、海外に行きたいと思って。中学高校で船のエンジンを勉強して、18歳から働き始めました。
それで24歳くらいで帰国して、紆余曲折あって今に至る。
いきなり終わりにしないでください(笑)もうちょっと詳しく聞いてもいいですか……?
そこからいろいろやりましたよ。サラリーマンもやったし。入社して1ヶ月で辞めたなんてこともあります。もともと船乗りだし根無草みたいなところがあって、嫌になったらすぐ辞めるんですよ。ケンカして辞めたり飽きて辞めたりね。
そんな中、めずらしく8~9年続いた会社があったんです。そこの会社で、たまたま茅野市に新工場をつくることになって。工場の立ち上げ要員として、横浜から茅野市に引っ越すことになりました。
お仕事で茅野市に移住してこられたんですね!
そう、会社都合。それで2年くらいかけて工場を立ち上げて、現地採用もして体勢が整ったところで、俺はもういいかなということで辞めたんです。もう雇われるのは嫌だなと思って。俺は自分でやろうと。
そんで紆余曲折あって今に至る。
だからすぐに今に至ろうとしないでください(笑)

すぐに今に至ろうとするお父さん。「紆余曲折」の部分が聞きたい。

オーブン付き薪ストーブとの出会い

工房の中。

それで薪ストーブを作り始めたんですか?
いや、最初はご飯食べていかないとってことで、建築の請負をやっていました。前職で機械加工や溶接の経験があったのと、意外と手先が器用なもんで重宝されて、いろんな現場に呼ばれるようになって。
とりあえず稼ぐために建築の仕事をもらってたんだけど、ちょうど駅前都市開発とか長野オリンピックとかで景気が良い時期だったんですよ。月100万円とか、普通に稼げたんですよね。やりたい仕事じゃなかったけど銭の魅力には勝てなくて、しばらくやってたね。
月100万! すごい。
でもそんな時代は長くは続かない。オリンピックも終わって、建築不況の時代が来た。ここからが本当の「さあ、どうしよう」ですよね。その頃から、いろんな物をつくってクラフト市に持っていくようになりました。金にはならないけどおもしろくてね。カズもよく一緒に行ったよな。
いろいろ行ったね。みんな「良い」とは言うんだけど買ってくれなかった。
そんなときに家の隣につくった事務所に薪ストーブを入れたくて、自分でつくったんです。
普通薪ストーブを自分でつくろうって思わないですよね。
まあさっきも言ったように、意外と手先が器用なんですよ。つくろうと思ったものは大体つくれる。薪ストーブは北海道で子どもの頃から慣れ親しんでたし、つくってみたらおもしろくて。

工房横のタイニーハウス内にも薪ストーブが。小さくても十分あたたかい。

それで薪ストーブが本業になったと。
いや、それがぜんぜん売れなくてね。そんなときに、ある人が「オーブン付きの薪ストーブつくってみろ、売れるぞ」って教えてくれたんですよ。「お前につくれるかわかんねえけど」って。
当時はオーブン付きの薪ストーブって珍しくて、ピンときた。それでオーブン付き薪ストーブをつくってるという人のところに行ったら、かなりの金額で売ってるのに注文が殺到してるっていうんです。
それが転機になったんですね。
転機だね。そのある人っていうのが、ここの土地も貸してくれたんです。今は亡くなったけど、いつも応援してくれました。それでオーブン付き薪ストーブをつくり始めて、1号機が売れるまでに4~5年かかったかな。

1号機と同機種のKMW-940-Oven。今でも主力商品の一つ。

そんなに!! その間辞めようとは思わなかったんですか。
自分でやってることだから、お金とか関係なくなってくるんですよ。今に見てろ、やってやるぞって。雇われ仕事だったら辞めてました(笑)。
でも1号機が売れたら、ポロポロ売れ出して。テレビや雑誌に取り上げてもらったり、有名な建築家の先生が使ってくれたりして、日本全国から問い合わせが来るようになりました。今でもポロポロですけどね。

薪ストーブのある暮らしを体験できる、泊まれるタイニーハウス。こちらもセルフビルドだそう。

火のある暮らしの豊かさ

和雅さんは子どもの頃からお父さんと一緒に仕事したいと思っていたんですか?
はい。小さい頃から一緒にものづくりをして、クラフトにもついていって。父の仕事に憧れがありました。
反抗期とかはなかったんですか?
怖くて反抗できないですよ(笑)。でも中学生の頃から自動車の整備士になりたいという別の目標ができ、高校卒業後には車関連で就職しました。労働環境が自分に合わず、すぐに辞めて父と働くことにしたんですけど。工業高校に通っていたので、溶接や金属加工などはすぐにできました。
これからどうなりたい、という目標があれば教えてください。
火のある暮らしのあたたかさを、ここから全国に届けていきたいと思っています。
薪ストーブをつけると、単に部屋があたたまるだけじゃなくて、ストーブの上であたたかい料理ができたり、火のゆらめきを眺めながら想像を膨らませたり、大切な人と火を囲んで過ごしたり……と、心があたたまるんです。
火のある暮らし、すてきですね。そしてこんなにまっすぐ「父に憧れていた」と言えるなんて……お父さん、うれしいですね。
いや〜はっはっは(照)。
火のある暮らしの提案には、地球環境に対する意識もあります。薪ストーブがあれば、石油や電気などのエネルギーを使わなくても、森の中にある材料で暖をとったり料理をしたりできます。自然と共存しながら暮らすことの豊かさも伝えていきたいですね。
あとは単純に、火っていいもんですよ。わくわくするよね。

屋外型のロケットストーブ。枯れ枝や木端でよく燃え、煙もほとんど出ない優れもの。もちろん料理にも使える。

森の中、親子二人三脚で“火のある暮らし”の豊かさを伝えているケンズメタルワークさん。

工房横のタイニーハウスの他、蓼科高原でも「泊まれる薪ストーブギャラリー 夕やけテラス」を運営しています。薪ストーブ生活をご検討中の方はぜひ問い合わせてみてください。

紆余曲折の部分も聞けてよかった……。
ケンズメタルワーク 
蓼科薪ストーブショールーム
〒391-0301 長野県茅野市北山5666
TEL:0266-79-6448
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泊まれる薪ストーブギャラリー 夕やけテラス
〒391-0214 長野県茅野市泉野5931-68
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ライター紹介:おいちゃん

ライター。信州松本生まれ、10歳から東京渋谷育ち。カルチャーショックを受け、小学生にして将来は地方移住することを念頭に生きる。大学卒業とともに縁あって茅野市に移住。諏訪旅1人編集部の編集長。

               

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