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旧石器時代の日本と諏訪
ホモサピエンスの拡散年代のイメージ

ヒトの誕生

猿人と呼ばれる最初の人類が現れたのは、およそ700万年まえのアフリカ大陸と考えられています。人類種はアウストラロピテクスやホモ・エレクトス、ネアンデルタール人、デニソワ人など様々な種に派生しましたが、後期石器時代と呼ばれる約4万年から1万5000年前には現在の私たちにつながるホモ・サピエンスが他の人類種を駆逐して唯一のヒト属となりました。

ヒトはどうやって日本へやってきた?

現在の日本列島にたどり着いた時期はまだ特定されていませんが、少なくとも4万年ほど前には列島で生きた旧石器人がいたと考えられています。そのころの地球は氷河期と呼ばれる寒い時期。現在の日本列島周辺の海面が低くなっていただけでなく、凍りついた海峡もあり、大陸と地続きになっていた時期もありました。こうした場所を通って現在の日本列島に渡ってきたと思われます。

700万年前 人類、アフリカに登場
250万年前 石器登場
200万〜170万年前 ユーラシア大陸へ進出
4万年前 この頃にはヒトが日本列島へ
1万5000〜1万年前 弓矢や土器の登場

日本には存在しないと思われていた「旧石器時代」

現在では当たり前に教科書にも載っている日本の旧石器時代ですが、ほんの80年前には「日本には旧石器時代は存在しない」というのが常識でした。戦前の日本では、古事記や日本書紀に書かれた神話が正しい歴史と信じられていたのです。日本列島をつくったのは神々で、日本人の国家は神武天皇が即位したとされる紀元前660年。それ以前に「日本人」以前の先住民族がいたとしてもせいぜい縄文時代までとされていました。

岩宿遺跡と「旧石器時代」の発見

終戦から間もない昭和21(1946)年、こうした日本の考古学を覆す大発見がありました。戦地から故郷の群馬県に帰ってきた相沢忠洋という青年が、後に岩宿遺跡と呼ばれるようになる場所で見つけた黒曜石の石器です。
重要なのはこの石器が見つかった赤土の地層。関東ローム層と呼ばれるこの地層は、土器が見つかったこともない古い時代のもので、当時の常識で言えば遺跡などあるはずがない場所だったのです。
昭和24(1949)年には完全な槍先形の尖頭器を発見。その後の明治大学による調査で、旧石器時代の遺跡の存在が確認されました。日本の「旧石器時代」の発見でした。

岩宿で最初に発見された尖頭器
現在の岩宿遺跡
相沢忠洋青年
(写真提供:岩宿博物館)

どんなふうに暮らしてた?

旧石器時代の遺跡から見つかるのは、石器に加え、住居跡のような遺構ではなく、礫群(れきぐん)(※1)や炭化物集中(※2)と呼ばれるものです。これは旧石器の人々が長期間の定住でなく、短期的なキャンプのような暮らしをしていたことを示しています。 そんなふうに、獲物や食料を求めてある程度の範囲を移動していくのを「遊動」と呼んでいます。

[注釈]

※1 礫群:握りこぶしくらいの大きさの石がまとまって出土したもの。焼けたあとが残るものも多く、火を使った料理に使われた跡と考えられる。 ※2 炭化物集中:炭になった遺物が集まったところ。動物の肉など火を使った料理の痕跡と考えられる。

環状ブロック群が見つかった遺跡のひとつ、長野県上水内郡信濃町の日向林B遺跡(写真提供:長野県立歴史館)

旧石器時代のキャンプ地?

旧石器時代の遺跡でしばしば見つかるのが「環状ブロック」。これは遊動する集団の円陣キャンプ地だったと思われます。こうしたキャンプ地を移動しながら、獲物や食料、石器の材料を手に入れていたのです。

どんな道具を使っていた?

旧石器時代の人々が使っていた道具といえば石器(石で作られた道具)です。他にも動物の骨から作られた骨器や、木を削って作った木器などもあったでしょうが、そのほとんどは長い年月を経て土中で分解されてしまいます。現代の私たちが確認できるほぼ唯一の道具が、分解されない石器なのです。

❶ 柄を付けた狩りの道具

旧石器時代の狩り用の道具は時期によっても、変わっていきました。鋭い縁を残した「ナイフ形石器」は早い時期、全体を木の葉形に加工した「尖頭器」は後半期、角などで作った槍先の形をした穂先に細石刃を埋め込んだ「細石器の槍」は最晩期に使われたものと考えられています。

❷ 肉を切る石器

狩猟で獲った動物を解体するときに使ったと思われるのが「ナイフ」の石器です。槍とは違い、まさにナイフのように手元で肉を切ったりするのに使ったと考えられます。

❸ 木を削る石器

木を削るのに使われたと思われるのが「削器(さっき)」と呼ばれる石器。槍をはじめとした道具の柄を作るのに使われたと考えられます。

❹ 皮をなめす石器

動物の皮をなめすために使われたと考えられるのが「搔器」です。氷河期の真っ只中、寒い旧石器時代には動物の皮を使った衣服で過ごしていたのでしょうか。

諏訪に最初の人が現れたのはいつ?

A.約3万5000年前
日本列島で見つかっている旧石器時代の遺跡は、今からおよそ1万5000年前から概ね3万5000年前までに残されたもので、それより古い年代の様相はあまり明らかになっていません。諏訪で見つかっている遺跡も同様です。
諏訪市の旧石器地帯(左端のアパート群が並ぶのが「茶臼山」、そこから一段右上が「上ノ平」、もう一段上が「北踊場」の各遺跡、背景には諏訪湖)

諏訪という土地の特徴って?

A.国内有数の黒曜石産地
諏訪地方には本州最大の黒曜石の原産地がありました。黒曜石は天然ガラスと呼ばれたりもする石材で、加工しやすく割れ口が鋭いことから石器の素材として重宝されていました。このこともあり、ほかの地域に比べて旧石器時代の遺跡が多く、出土石器も多いのはこのためだと思われます。
2009国立博物館企画展示図録『縄文はいつから?』に一部加筆