☑️ 地元にいるのに、半分も知らなかった〈下社秋宮〉
☑️ 知られざる〈昭和遺産〉と藤森栄一さんの星ヶ塔遺跡調査の関係
☑️ 「星ヶ塔遺跡の発掘」は学芸員宮坂さんの人生そのもの
星ヶ塔遺跡は、ずっと特殊な人でなければ入れないところだと思っていました。ところが! ブラタモリという番組のお陰で! 下諏訪町観光振興局が企画したツアーで、一般の人も見せてくださるというではありませんか!
長和町も見てきたし、ぜひ下諏訪の遺跡を見て、星糞に対する理解を深めたい。さっそく応募して、「許可なしでは入れない黒曜石の宝庫『星ヶ塔遺跡』ツアー」に参加させていただきました。
今回参考にさせて頂いているのは、諏訪湖博物館館長の宮坂清さん(ブラタモリで「星糞おじさん」として紹介されていました)のお話と、星ヶ塔ミュージアム矢の根やで頂いた資料です。
朝8時。下諏訪駅前に集合しました。マイクロバス2台にそれぞれスタッフも含め、10人ほどを乗せて出発です。
ツアーのコースは、下社秋宮を参拝し、星ヶ塔ミュージアム矢の根やを見学して、星ヶ塔遺跡へ向かうというものです。それでは出発🚍
地元にいるのに、半分も知らなかった〈下社秋宮〉
バスに乗ること5分程度で、秋宮前駐車場に到着。
地元にいるからこそとも言えますが、私はガイドさんのお話を聞くのが、実は初めてでした。
鳥居の前の地図で、秋宮や星ヶ塔ミュージアムのある「おいでや」の場所が分かります。
境内図。参拝は左方向からするのだそうです。先ずここから、正式には知りませんでした💧
出水舎の前にある「六方石」。確かに六角形のような形をしています。
秋宮の上の方で採石された物だそう。普通な石だと思ってました😲
伊勢神宮の遥拝所。目に入ってなかったなぁ。今までどこを見てたんだろう💧
他にも神楽殿横の土俵が8月1日のお舟祭で果たす役割や、境内社である鹿島社、子安社、加茂上下社のお話などを、35分に渡って案内頂きました。
底の抜けた柄杓を奉納する子安社、とても興味深かったです。ぜひ横からもお社を眺めてみて下さい。
立川流の棟梁によって建てられた秋宮拝殿。奥になんとなく、御神木のいちい(一位)の木があるのが分かります。来年は御柱祭!
神楽殿。大注連縄は、出雲大社の関係の方に教わって同じ方法で作っているそうです。手前の狛犬は、原村出身の清水多嘉示(しみずたかし)さんの作とのことでした!
知らないことだらけで、ショック😢 案内人はあらまほしき物なり。
黄色の法被のガイドさんがいらっしゃったら、ぜひお話を伺ってみてください。
気を取り直して、「しもすわ今昔館おいでや」の中にある「星ヶ塔ミュージアム矢の根や」へ。
中庭にある水運儀象台。詳しくは昨年書かれた諏訪旅の「おいでや」の記事を見てください!
『しもすわ今昔館おいでや 〜時計工房儀象堂〜』思ってたよりも感動した…時に思いを馳せるミュージアム(下諏訪町)
本日も良いお天気☀
矢の根やへ。ここにあの方が……。
ここから、ガイドの宮坂清さんにお話を伺いました。矢の根やに関する詳しいことも、ぜひ昨年の諏訪旅記事で。
『星ヶ塔ミュージアム 矢の根や』縄文時代、諏訪は黒曜石の一大産地だった! 人々が生きてきた軌跡を辿る。(下諏訪町)
宮坂さんには、「星ヶ塔産」の黒曜石の特徴と、縄文時代にどこまで諏訪産の黒曜石が流通していたかをお話いただきました。いろいろと、謎と推測が。
ここで、星糞おじさんに例の質問をさせていただきました。
河西「星糞とは、なぜそう呼ばれていたのでしょう?」
宮坂さん「昔の人(江戸時代くらいまで)は、黒曜石を地中から出た石だと思っていなかったと思います。キラキラしているから、空から降ってきたもの、お日様の鼻くそとか、星糞、なんて呼んだのでしょうね」
そうか、石だという概念そのものがなかったんだ……(言葉ができた頃の人は)。
黒曜石の砕石をしていた縄文人は、知っていたかもしれませんね。
知られざる〈昭和遺産〉と藤森栄一さんの星ヶ塔遺跡調査の関係
矢の根やの見学を終えて、一路星ヶ塔遺跡へ。バスで和田峠の方向へと向かいます。
この景色、テレビで見たな……。大事な場所なので、ゲートで区切られています。
バスの運転手さんも大変な道でした。ここで、参加者全員にステッキを1本ずつ貸与。(そのくらい傾斜あり!)
遺跡への入り口。きれいに整備されています。
林道を進むと、すぐ道端にこんな黒曜石がゴロゴロ! この黒曜石、実は……
宮坂さん「この上の方に見える窪みは、もちろん縄文の人が黒曜石を掘った跡なんですが、 昭和30年代に建材の材料に混ぜるために、昭和の人達が黒曜石をさらに採掘した、昭和遺産でもあるんです」
えええ!
宮坂さん「その辺に落ちてるのは、作業の過程で落ちてしまったものですね」
なんと! それで、固まってゴロゴロしてる訳ですね。
こちらも昭和時代の作業の後だそう。
宮坂さん「昭和30年代に、業務用に黒曜石を採石している現場に土器が出たということで調査に来たのが、考古学者の藤森栄一さん達。周囲の方が縄文時代に対する知識がほとんどなかったときに、すごい遺跡だと主張した訳です」
先人の皆さんのアピールの努力があって、遺跡が今に残されているのですね。調査の背景を知りました。
星ヶ塔には、縄文の頃に発掘していたと思われる窪みが193ヶ所あるそうです。
歩くとほんとに、星糞が散りばめられております。
「星ヶ塔遺跡の発掘」は学芸員宮坂さんの人生そのもの
林道の少し先に、坑が見えてきました。タモリさんの為にチップがひかれた道だそうです。
日本で唯一、縄文人が発掘したと認定されている黒曜石の採掘坑。出てきた土器の破片の解析から、ここが縄文晩期の遺跡であることが分かったとのこと。ここから出土した土器にもなかなか深い謎があるそうです。
穴の大きさは3m四方くらい。深さは4mくらい。流紋岩(写真では白い地層)と黒曜石(黒い地層)の境目を見ることができます。(貴重!)
この遺跡、ほとんど宮坂さんが1人で、丁寧に時間をかけて掘ったのだそうです。発掘やブラタモリにまつわる裏話をたくさん聞かせていただきました。
気になる方はぜひ、来年以降でもツアーがあれば参加してみてください!
宮坂さんは1人で作業する辛さより、発見のワクワク感の方が大きかったと語ってくださいました。
遺跡の傍らに積まれた土嚢の数々。掘り出した土を袋に詰めて保管しているのだそうです。この土嚢の量が、宮坂さんの人生その物だと仰ってました。感服です。
貴重な物を見て、話を聞かせていただいた、大変有意義なツアーでした。
最後に、下諏訪駅前に9月24日にオープンしたばかりのお店、「アソビバ」さんに寄りました。
ナチュラルで可愛らしい店先。
無農薬で新鮮な野菜が並びます。キュウリやオクラ、サツマイモなどを購入しました。料理するのが楽しみ✨
ショーケースには、本田食堂さんのテイクアウトのお惣菜が並べられていました。どれも美味しそうでした!
アソビバ -野菜の直売所- 公式Instagram
最後に「星ヶ塔黒曜石原産地遺跡」の資料を見ていて思ったこと。
どうしてこんな林の中で、黒曜石を簡単に見つけることができたのだろう……と考えていたら、資料の中の大正や昭和の写真では、星ヶ塔遺跡の辺りは野原のようでした。木があまり見当たりません。
またこの辺りは、和田峠と諏訪を結ぶ峠道として、昔の人は普通に歩いて通っていた場所のようです。
野原なら、歩いていてキラキラした物が落ちていれば分かるわ✨
今だけを見ていたから、想像できなかったと分かりました。過去を知ることは大事ですね。
知らないことを知るのは楽しいので、また旅に出たいと思います👟
ライター紹介:河西 美奈子司書でスワんこプロジェクト(諏訪の文化を伝える紙芝居を作るグループ)リーダー。星と落語・講談が好きで、最近古道散歩にハマっています。 |