御柱祭 地元民の本音インタビュー#1「正直関わりたくないんです」

2022年は御柱年。7年に一度、諏訪の地で寅と申の年に執り行われる神事「式年造営御柱大祭(通称:御柱祭)」が行われます。諏訪大社上社、下社それぞれに8本、重さ10トンにもなる巨木を山から切り出し、上社は約20km、下社は約12kmの街道を人力のみで曳き、社殿の四隅に建てるというものです。
このお祭りを執り行うのが、諏訪6市町村に住む氏子たち。平安初期から1200年ものあいだ引き継がれてきた御柱祭を、地元の人はどのように捉えているのでしょうか?

ぶっちゃけ大変? 関わりたくない? それでもやっぱり大切なお祭り?
御柱祭に寄せる想いは人それぞれ。諏訪地域出身・在住者3名に協力を得て、地元民の本音を3回連載でお届けします!

第1回は「御柱祭にはどうしても関わりたくない」という男性。御柱祭に熱心なご両親のもとで育ちましたが、子どもの頃からあまりお祭りが好きではなかったと言います。しかし一度地元を離れ、外からの目線を持つことで御柱祭についての想いにも変化があったそう……。関わりたくないけど大切。複雑な想いの裏側を聞きました。

御柱祭は子どもが楽しいお祭りではない

ーーいつ頃からどのように御柱祭と関わっていましたか?

本当に小さい頃から、子ども木遣と長持に駆り出されてましたね。お祭り楽しいな!って思う人もいたんだろうけど、僕にはなんだかわかんなかった。そもそも御柱祭って子どもが楽しいお祭りじゃないんですよ。朝早くから起こされて、法被を着させられて、一日中どやされて。柱が進むのはゆっくりだし、早く終わんないかなぁって思ってた。家でゴロゴロしていたいし、漫画読んだりアニメ見たりしたいのにって。

でも周りの子もおおむねみんな御柱祭に出てたと思います。うちは特に熱心な家庭で、親もがっつりやってたからね。拒否できるとも思ってなかったし、拒否する方法があるかなんて考えもしなかった。感覚としては学校のめんどくさい行事がもう一つ増えたみたいな感じですかね。

諏訪市出身・在住の男性Aさんにご協力いただきました。

ーーな、なるほど……。確かに屋台が並んでてチョコバナナ食べたりゲームしたりっていうお祭りではないですもんね。大人になってからはどんな印象でしたか?

高校生のときにも御柱祭はあったはずだけど、記憶にないんですよね。大学で東京に行っちゃってからはそのまま関わらず。
でも諏訪を離れて最初の御柱は、たまたま見にきたんです。東京の知り合いが見たいと言うから、じゃあ一緒に行って案内しましょうかと。そのときはもう外から見ている感覚だったんですが、このお祭りってちょっと面白いかもと思うようになりました。

ーー諏訪を出てから御柱祭の印象が変わったと。

諏訪にいると、この祭りの特殊さってわからないんだけど、東京で他のお祭りを見て「お祭りってみんながみんなああじゃないんだ!」って思ったんです。
東京とかのお祭りって、お祭りを運営している人がいて、お客さんがいる。運営する人とお客さんは完全に別でしょう? だけど御柱ってその辺がよくわかんないじゃないですか。もっと言えば、お客さんと呼ばれるような人たちが簡単に入れるようなお祭りではない。やっぱり神事だよね。

外から見ると、御柱祭に参加している人たちって「トランス」してるなって思うんです。各地にある荒っぽいお祭りもそうだと思うんですが、参加している人のテンションが振り切ってて、ある種トランスしちゃってる。宗教儀式って一種のトランス装置という側面があると思うんですが、お祭りの本来の機能、日常とは切り離された別世界につながる機能が残ってるお祭りだなって思います。

地元育ちならではの“地元コミュニティ”のしんどさ

ーーそれでも御柱祭には参加したくない?

僕にとって御柱に参加するっていうのは「どこそこの倅」っていうのをずっとやんなきゃいけないっていうことなんですよね。自分を知っている人が地域にいっぱいいるのはいいことでもあるんだけれど、僕の場合は不自由に思う。

大人になれば当然、職業とか、どこの会社の誰それって何かしらの肩書きはつくものだけど、諏訪にいるとそれと同時に「どこそこの倅」とか、「どこの中学」とかもずっとついてくる。中学時代なんてまだまだ子どもで恥ずかしいことだっていっぱいある。俺もう40歳なのに、地元のコミュニティに入ると子ども時代の関係性をそのまんま今に持ってこられちゃうんですよ。

ーー御柱祭そのものというより、地域のコミュニティがしんどいという感じでしょうか?

そう。だから僕は東京に行って楽になりました。だって満員電車ってあんだけぎゅうぎゅうになるくらい人が乗っているのに、この中に1人も知り合いがいない。それを心細く思う人も当然いるんだろうけど、僕はそこに安心したんですよね。

30代半ばになって諏訪に戻ってきて、すぐ御柱があったけど一切かかわらず。一度出ちゃったらおしまいだと思って、消防とかもやってない。すごくがんばって断りました(笑)。
ここで生まれた人間は、自分の持っているある一面だけで部分的に関わるってことはできないように感じています。0か100かというか。

ーー御柱祭に参加することで、消防など他の面でもがっつり地域にかかわらざるを得ないということですね。

ただ大人になった今は、後ろめたさはありますね。田舎の濃い付き合いをただ否定はできない。都会の人たちがステレオタイプで「そういうのが田舎のよくないところ」っていうけれど、一概にそうじゃないよとは思うようになりました。そんな単純なことじゃないよね。

祭りとか消防とかそういうつながりがあるから、地域が成立している部分もある。地元の人が日頃から密な関係を築いているからこそ、災害のときとかにも連携が取れるんだと思っています。御柱祭がなくなればいいと思ったことはないし、諏訪で御柱祭がずっと続いていくことも願っているんですが……自分が、となると、やっぱりどうしても関わりたくないなぁ〜。

ーー地域のつながりの濃さは、そこで生まれ育った人にしかわからない感覚かもしれません。ずっと続いてほしいけど、自分は関わりたくない。複雑な胸の内をお話しいただき、ありがとうございました!

★第2回は、子ども時代から「木遣り師」として活躍してきた女性にインタビューします!
※木遣り:一般に、重い木や石を大勢で運ぶ際にうたわれる歌。御柱祭では御柱を曳行する際など、氏子たちが力を合わせる合図としてうたわれる。