深い深〜い縄文文化のお話です🖋 是非とも読んで頂きたいですm(_ _)m
長野県富士見町にある『井戸尻考古館』。
目の前には、
富士山🗻さすが地名が『富士見町』だけありますねー
館長の小松隆史さん! 僕が大好きな方です^_^
ちょっと長いですが……日本の源流、精神性が見えてきます。
およそ5千年前の縄文中期、八ヶ岳西南麓(諏訪~北杜)が日本で一番栄えていました!
縄文中期、八ヶ岳西南麓(諏訪~北杜)が栄えた理由
①気候
今より数度高く、関東が海に沈み逃げてきた民。九州の大噴火により東海が灰で埋まり逃げてきた民。北関東から黒曜石を求め入ってきた民などが集まった。
②黒曜石(火砕流が固まって出来た天然のガラス)
和田峠は良質な黒曜石の産地。他の地域より粘り気があって丈夫。矢尻やナイフなどとして使われた。この時代はとても大切なモノ。ここの黒曜石が全国に渡っている。北海道でも使用されていた。
③水
八ヶ岳の標高900mは良質な伏流水が出る。縄文文化は標高900mに沿って栄えていた。(ちなみに僕は、茅野市の標高900mに住んでいます^ ^)
④八ヶ岳の恵み
多種多様な動植物の恵みがあった。
とっても過ごしやすい環境だったんですね^_^
また、栄えた理由を「農耕があったから」と小松さんはおっしゃいます。
http://userweb.alles.or.jp/fujimi/idojiri/ido004.html
・縄文時代は狩猟・採集というイメージがあるが……発掘された石器類をみると、農具であったことが推測できる。
・4〜5年で1回、畑を移動した。同じものを作り続けると出来が悪くなるという連作障害を知っていたのではないか?
20年後に同じ場所に戻ってくるという地域内定住だったのではないか? ということが住居跡からうかがえる。
・焼畑をしていたのではないか? 焼くことで新しい命が芽生える。灰が肥料になる。菌を殺す。
小松さんは、発掘された石器類のレプリカを作り、実際に耕したりしている面白い方です!
考古学をデスク上で、あーだこーだ言うより、縄文人が何を感じていたか? 自ら感じるという姿勢がステキです✨
僕も縄文を「古い文化」に留めておくのでなく、精神性を感じ、自分たちの生活に活かしていくというのが良いと思ってます^_^
小松さん、ありがとうございます✨
次は、縄文人が土器や土偶に込めた想いご紹介いたします!
ちょーデープだせ!
【井戸尻考古館2】縄文人の感性に驚愕(・・;)(富士見町)に、つづく!
のだオバさん。放送作家。夢で「諏訪大社に行け!」と言われたのを真に受け、長野県茅野市に移住^_^余所者の目線を通して、諏訪・八ヶ岳エリアの魅力を発信!花好きから「あいつオジさんのくせに、オバさんっぽいな」と言われ『のだオバさん』に…。天然の妻・フリーアナウンサー谷岡恵里子は相当ヤバい(笑) |