☑️今回のラベルは下諏訪『ともしび』と『ヒュッテ御射山』
☑️ゆったりとした時間が流れる『ヒュッテ御射山』は素敵な場所。
☑️『御射山』は諏訪信仰の大切な場所の一つ。
マッチのラベルを調べ始めたのが2014年2月頃からだから、ここでも現在と過去が入り乱れるのはお許しください。
※過去の『タイムとラベル』記事はこちらです。
あれからもう6年が経つ。父・日出男が集めたこのお店のラベルは全部で4種類あった。
父はよく行っていたのだろうか?という疑問と、長塚と青塚通りの住所が誤植ではないかという疑問から、下諏訪の叔母に連絡をしてみた。
すると、「“ともしび”は歌声喫茶がはやった頃、立町にありましたよ。夫が通っていました」とのこと。叔父は頼まれてよくラベルなど描いていたので、もしやと思って聞いてみましたが「夫の作品ではないようです」という返事だった。そしてやはり、「青塚を長塚と誤植したのではないか」との事だった。
また、『ヒュッテ御射山』については、「ヒュッテ御射山は、昔笹岡さんという方がやっていて、日出男さん達を連れて行ったことがあるような気がする」との事。その笹岡さんの奥さんが、神宮寺の隣の氷屋(今は鯉屋)のおばさんと姉妹だという。同じ守矢牧【土着の同姓者の集団、つまり血族の集団を牧と呼んだ】で、親戚づきあいをしている家と繋がるとは思わなかった。
<マッチのラベルはいつ頃のものなのか?>
このヒュッテ御射山は八島湿原にあるというので、例のごとく、ネットを頼りに電話をしたところ留守。よくよく見ると、連絡したのは2月でヒュッテは休業だった。
あきらめきれずに、一応メールを送っておいた。すると現管理人の三井さんとおっしゃる方から連絡があった。いろいろお話をしたところ自分も興味があるので、先代に聞いてみてくれるとの事だった。まずは一安心をした。
少し時間がかかったが、現オーナーさんから連絡があった。前オーナーに聞いたりして調べてくれたが、ラベルの時期は判然としないらしい。記録があるわけではなく、記憶に頼らざるを得ないのだから仕方がない。叔母が嫁いだのが昭和28年(1953年)、ヒュッテ御射山が出来たのがフォトブックの巻末文からだと1960年代ではないかと推測されるので、その間ではないかと推理するしかない。
実はその時、ヒュッテのPhoto bookの中でこのラベルを使っていいかといわれ了承した。とても素敵なPhoto bookで、四季折々の素晴らしい景色を見ることが出来る。今また見ると、季節ごとの顔が見えて惚れ惚れする。
※ヒュッテみさやまのホームページはこちらです。
私は諏訪から東京に出て行ってからは、八島湿原に行くことはあったが親父にそこの話を聞いた事がない。最もあの中をぐるっと回った記憶がないので、ヒュッテの側までは行っていないのかもしれない。ヒュッテみさやまのホームページを見ると、音楽会をやったり・森の散策ガイがあったりと楽しそうな催しが多い。
これから信州はいい季節になる、是非避暑を兼ねて足を運んでほしいと思った。素敵な雰囲気に包まれ、ゆったりと時間を過ごせる事請け合いだ。
<『御射山』は諏訪信仰の大切な場所>
ヒュッテのある『御射山』は諏訪信仰の中で、重要な神事・祭祀が行われるところである。八島湿原の南端『御射山』に、諏訪大社下社の奥宮ともいわれる四方に御柱の建った小さな社がある。
中世には、ここで軍神【諏訪大明神】を祭って御射山の祭りが開かれ、諏訪・甲斐を中心に武士や幕府の重臣たちが集まったのだ。祭壇を中心にして、広く三方を囲むなだらかな丘の中腹を数段に削って桟敷を設け、様々な奉納試合を行ったといわれる。御射山社祭の折りには、太陽・月・星を同時に拝すことができると云われ、『穂屋野の三光』とされ、諏訪大社の七不思議の一つになっている。
最後に一つ、豆知識を伝授。ビーナスラインが沢渡のバス停から御射山を迂回しているのは、御射山を守るための住民運動によるものだ。そして、その経緯を新田次郎が【霧の子孫達】に書き留めている。機会があれば、お読みいただきたい。
何気なく家族で遊びに行っていた所に、繋がって来た今回のラベル調査だった。蓼科に会社の保養施設があった関係で、よく訪れていた場所だ。それなのに、旧御射山社に行った事も見たこともないとは情けない限り。大して諏訪に居た訳ではないから、案外知らないことが多いのだ。『穂屋野の三光』も、曾祖父の句仲間・林芒斎が上社の神楽殿に俳句を記した扁額を奉納しているので知っていたくらいだ。
その中に曾祖父の句も入っている。まだまだ調べれば、身近にいろいろと転がっている物があるのかもしれない。なぜだか自然と笑顔になる。次は何を選んだら、どんな物を拾うのだろう・・・。ワクワク感が止まらない。
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ライター紹介 守矢正1951年12月4日生まれ。小学校6年まで諏訪市中洲神宮寺の旧杖突街道入り口脇の家にて過ごす。 |