☑︎諏訪湖に浮かぶ城「高島城」
☑︎天守閣復興は6度目のチャレンジだった!
☑︎四季折々に美しい「高島公園」
☑︎高島城のアクセス・駐車場
こんにちは、おいちゃんです。今回は「諏訪高島城」に行ってまいりました!
今から400年ほど前の慶長3年(1598年)、豊臣秀吉の家臣「日根野高吉」により築城された高島城。明治維新により城郭のすべてが取り壊されましたが、昭和45年(1970年) に市民の熱望により天守閣が復興され、今も諏訪のシンボル的な存在として広く親しまれています。
2020年10月18日から2021年5月23日まで復興50周年記念企画展「天守復興」を開催中!
期間中、諏訪市内在住者は無料で入場できます。
期間限定の御城印も販売していますよ〜。1枚300円※原則1人1枚
パネル展示を通して、高島城の復興にかけた人々の熱い思いが伝わってきました……
諏訪湖に浮かぶ城「高島城」
諏訪湖と並び諏訪のシンボル的な存在である高島城。今から400年ほど前、豊臣秀吉の家臣である、日根野高吉(ひねのたかよし)によって築城されました。1592年に築城がはじまり、1598年にはほぼ完成したと考えられています。
当時は諏訪湖の水が城間際まであり湖中に浮かんでいるような姿だったため、別名「諏訪の浮城」とも呼ばれていました。
松江城や膳所城と並ぶ「三大湖城」のひとつであり、2017年には「続日本100名城」に選定されています。
天守閣復興は6度目のチャレンジだった!
江戸時代を通して親しまれた高島城ですが、明治維新によって旧来の支配体制の象徴である城郭は取り壊されることになってしまいます。明治8年(1875)年までに城郭のすべてが取り壊され、翌年には本丸跡地が「高島公園」として市民に開放されました。
毎年多くの花見客が訪れる高島城の桜もこのときに植えられたんですね〜。
天守閣復興はなんと6度目のチャレンジだったそう。下記ざっくりすぎる紹介。
→世界恐慌のあおりを受け断念。②昭和31年:当時の市長が事務当局に検討を指示
→着手に至らず。③昭和35年:諏訪出身者が東京で復興計画を立てる
→「高島城復元協会」設立するも実行には至らず。④昭和37年:割烹旅館の亭主が地元への奉公として高島城復興を思い立つ
→城址が国有地であること、建ぺい率や寄付金の扱い等の問題から実現せず。⑤昭和38年:④の熱意を受け継いだ諏訪市長が高島城復元準備大会を開催、寄付金を募る
→国の金融引き締め政策により企業収入が低迷、またしても足踏み状態に。
度々運動が立ち上がるもなかなか実現しない天守閣復興…でしたが、ついに転機が訪れます!!
→昭和44年から天守の復興工事開始
→昭和45年、95年ぶりに高島城天守が復興!!
(寄付者7212名、寄付総額9536万円余り)
うおおお〜〜〜〜数々の困難を乗り越えて復興した高島城の歩み。知って見るのと知らないで見るのとでは感慨深さが違いますね。
石垣の修理や庭園の整備などは諏訪市の事業者の奉仕によって行われ、樹木は市民の手で集められたそうです。まさにお城を思う人々の情熱によって実現した復興……
館内には他にも歴史的な資料が展示されています。
3階は展望コーナー。
諏訪湖や諏訪の街並み、天気が良いときは富士山も見えますよ。
四季折々に美しい「高島公園」
桜の名所として知られる高島公園。桜が散った5月には藤が見頃を迎えます。秋には色とりどりの紅葉に彩られ、四季折々に訪れたい場所です。
高島城のアクセス・駐車場
高島城のアクセスは
電車:JR上諏訪駅諏訪湖口から徒歩約10分
車 :中央自動車道諏訪インターから約15分
駐車場は2ヶ所あります。
一つは西側(諏訪湖側)。
もう一つは諏訪市役所の駐車場。
激動の時代を経て、今も愛される「高島城」。ぜひ足を運んでみてください。
おまけ
入場料を支払い、売店にて300円以上のお買い物をすると全国統一観光スポットカード「ロゲットカード」がもらえます。
50周年記念誌「諏訪の浮城 高島城のすべて」500円もおすすめです! 内容が濃すぎる!!
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ライター紹介:おいちゃんライター。信州松本生まれ、10歳から東京渋谷育ち。カルチャーショックを受け、小学生にして将来は地方移住することを念頭に生きる。大学卒業とともに縁あって茅野市に移住。諏訪旅1人編集部の編集長。 |