☑️マッチのラベルから時代を探る第一弾『大手にあったナポリ』
☑️『ナポリ』のラベルにある、壽屋の洋酒チェーンってなんだろう?
☑️洋画専門館『シネマレイク』は、小学生時代地域で集まり観に行く大人気の映画館だった。
父のコレクションの中にマッチのラベルがある。
時代を表しているので、僕のお気に入りのコレクションである。今回はその中で『ナポリ』というラベルにフォーカスしたい。『諏訪市シネマレイク前』と書いてあるから、『ナポリ』はその映画館の前にあったのだろう。
父は1950年から1964年まで諏訪清陵の教師だったから、その頃集めていた物だと思われる。映画や芝居が好きな父が、シネマレイク帰りによく通っていたのに違いない。
諏訪を代表する劇場だった都座が、隣接する道具小屋を改築して1954年に開館させたのが『諏訪シネマレイク』で、洋画専門館としてオープンして2007年に閉館している。
映画を観に来るお客様をターゲットに『ナポリ』が出来たのか、すでにあった店が洋酒チェーンの系列に入ったのかは分からない。そして現在、地図検索でも近くにそれらしい店は残っていないので、いつ閉店したのかもわからないのが残念だ。
『ナポリ』はどんな店だったのか?
この店がどういったものかを調べてみた。キーワードは『壽屋の洋酒チェーン』である。
なかなかドンズバの答えが見つからなかったが、いろいろな話を総合するとこう云う事らしい。
壽屋がはじめてウィスキーを発売したのは1919年の事で、それがいまでも名高い『トリスウィスキー』である。壽屋は自社の製品を専門に扱うバーを1957年に『壽屋の洋酒チェーン・トリスバー』として系列化したのである。では系列化の条件とはというと、
①女性が客席に着かない事。女性が接客しちゃ駄目という事だろう。
②酒とつまみの値段が適正で統一されていること。ボッてはいかん、明瞭会計でという事だろうか。
さて、壽屋はチェーンバーへ様々なサポートをしているのだが、毎年全国的なバー祭りの実施やバーテンダーの講習などに加え、様々なノベルティグッズの頒布を企画していて、その一環としてPR誌配布を行ったのである。
詳細は『洋酒メーカーの広報誌の研究』という論文に記載があるが、その広報誌つまり常連客へ配るPR誌というのが、開高健や山口瞳が手掛けた伝説の『洋酒天国』なのである。この中身がなかなか秀逸で人気となり、さらにトリスバー人気に火をつけたようだ。
Wikipedia参考・『洋酒天国』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%8B%E9%85%92%E5%A4%A9%E5%9B%BD
言ってしまえば、「酒をこよなく愛す人たちの集う健全なバーだった」というところなのだろう。
シネマレイクとは?
シネマレイクは都座の舞台道具を保管する小屋を改築して、1954年12月31日に洋画専門館として開館。
『E.T.』や『エマニエル夫人』は常に満席で立ち見も出た。当時諏訪市には花松館、オデオン座、都座、シネマレイク、諏訪東映劇場の5館があった。しかし近年には大規模な駐車場がある複合映画館のシネマコンプレックスと競合する事となり、順番に閉館する事となったのである。
最後に残った『シネマレイク』も築52年の建物の老朽化が進行し、設備改修が求められていたが社長はすでに77歳、後継者もいなかった。ついに2007年8月31日をもって、諏訪市大手の洋画専門映画館『シネマレイク』が閉館する事となったのである。
『昭和の諏訪』という写真集がある。その中に1959年(昭和34年)頃のシネマレイクの写真があり、『戦場にかける橋』の看板が見える。残念ながら、了解を得ていないために今回は掲載を見送ったが、出版社の本紹介の中に写真が掲載されているのでご覧ください。
https://www.ikishuppan.co.jp/publics/index/206
『昭和の諏訪』本についての紹介
■対象地区
岡谷市・諏訪市・茅野市・下諏訪町・富士見町・原村・信濃境
■体裁 A4判大型上製本
■頁数 280頁
■収録写真 約600枚
■発行部数 限定1500部 初版のみ発行(増刷なし)
■刊行記念特価 本体9,514円+税 (現在若干数残りがあるようです。)
■株式会社 いき出版 https://www.ikishuppan.co.jp/publics/index/205/
ラベルはいつ作られたのか?
では、このラベルの作られた年代はというと、1954年に開館させたのが『シネマレイク』だった事も考え合わせると、父が諏訪清陵の教師をやっていた1950年から東京に行く1964年までの間で、『ナポリ』が壽屋の洋酒チェーンとして系列化された1957年以降の物と考えるのである。
実は諏訪での生活の記憶はあまり定かではない。ところがシネマレイクを調べているうちに、神宮寺地区で外国の映画を観に行ったことを思い出した。そして、どこかにその時の事が書いてあったという記憶が、突然浮かんだ。
日記を探して開いてみたら、1962年1月23日にそれらしき記載があった。ただ感想は書いてあったが、何の映画かは書いてなかった。
こうして父の残した物を整理し調べる事で、諏訪にいた時の懐かしい記憶や風景が甦るのは、ここが自分の故郷だと実感できて大変嬉しい。戦後作られたマッチのラベルには、英文字表記の物も多い。きっと諏訪という所は先進的な考えを持った人々が作り上げたのだろう。そして、芸能文化が強く残っているところでもあるらしい。「時代を遡って、懐かしい諏訪をもっと見たい」と思うので、しばらくはこの『タイムとラベル』にお付き合いください。
ライター紹介 守矢正1951年12月4日生まれ。小学校6年まで諏訪市中洲神宮寺の旧杖突街道入り口脇の家にて過ごす。 |