御柱祭、地元民の本音インタビュー。第2回は地元女性の声を聞きました。日本古来の祭りは「女人禁制」の伝統があるところが少なくありません。御柱祭も柱に乗ることができるのは男性だけですが、御柱を動かす上で重要な役割を果たす「木遣り」は女性も参加しています。
※木遣り:一般に、重い木や石を大勢で運ぶ際に唄われる歌。御柱祭では御柱を曳行する際など、氏子たちが力を合わせる合図としてうたわれる。
諏訪地域に生まれ、子どもの頃から木遣り隊として御柱祭に参加していたMさんにインタビューしました!
木遣りを通して感じた「居場所」
ーー木遣りに参加しようと思ったきっかけはなんだったんですか?
小学5年生のときに、当時入っていた合唱団の友達が木遣り隊に入っていたんです。友達がいるので私もやりたいと。特に深い理由はありませんでした。
ちょうど御柱年で、3月のギリギリの時期に入隊して4月5月は子ども木遣りで参加させてもらって。もともとワイワイするのが好きだったので、とても楽しかったです。妹と弟がいるのですが、兄弟3人で参加しました。
小宮(こみや)と呼ばれる地域の小さな神社にも諏訪大社と同じように4本柱が建っているんですが、御柱年には御柱祭と同じように、柱を人の手で建て替えます。小宮にも木遣りが呼ばれるし、御柱年には老人ホームなんかの小さなイベントでも、御柱祭の雰囲気を感じてもらおうと木遣りが呼ばれます。
そんなわけで小学生のときの御柱祭ではあちこちに呼ばれて木遣りを鳴いた(木遣りを唄うことを「鳴く(なく)」と表現します)記憶があります。大人の人がみんな喜んでくれて、地域の子どもとして、大事にされている感覚がありました。純粋にうれしかったですね。
ーーこうやって伝統が引き継がれていくんですね。小学5年生の次の御柱祭は6年後だから、高校生?
そうですね。高校生になると、子ども木遣りじゃなくて大人の木遣り隊になるんです。子ども木遣りは集団で行動するのですが、大人は基本的に一人で行動します。
どこに行けばいいのかわからなくて、「おめえはここじゃねえ!!」って怒られたり。御柱のときって、男の人たちみんな荒っぽくなるじゃないですか(笑)。だから怖かったけど、自分の声で柱が動いていくときの一体感は忘れられません。
御柱祭って、若い氏子に見せ場をつくるようなところもあるんです。年長の氏子が若い氏子に「ここ乗れ!」とか「こうしろ!」とか言って、目立つように仕向けてくれる。私に対しても、「ここで鳴け!」と見せ場をつくってくれるんですよね。言葉や態度は荒っぽいけど、私は温かさを感じて。この祭りの中で、自分にも役割と居場所がある。上の人がちゃんと居場所をつくってくれるって安心感というのかな。
ーー御柱祭のときって、諏訪地域にこんなにヤクザっぽい人いた!? ってくらい、中高年も若者も荒々しくなりますよね。そんな雰囲気の中でも温かさがあるんだ……。
それが嫌だっていう人ももちろんいると思います。御柱祭では年齢による上下関係が絶対なので。でも私は、うれしかったんですよね。あれだけ大きな木を人の力だけで運ぶためには、強い上下関係も必要な気がしています。
ーーその次が前回の御柱祭。2016年はどんな立場で関わったんですか。
諏訪地域を離れて東京で看護師をしていたのですが、御柱年の冬に、私に木遣りを教えてくれた師匠が亡くなったんです。その方が私の出身地区の唯一の木遣り師だったので、これは私がやらなきゃ、と思いました。
御柱祭の日は全日程仕事を休んで、木遣り師として奉仕しました。本宮のお祭りが終わってからも小宮祭に向けて毎月何回も帰省して、地区の子どもに木遣りを教えていましたね。師匠も喜んでくれたかと思います。
諏訪人のライフプランは御柱祭が基準!?
ーーそれは使命を感じますよね。では今回の御柱祭も木遣りで?
いえ、実は前回の御柱祭で、私が直接関わるのは最後にしようと決めていたんです。
ーーえっ!?
諏訪の人って御柱祭の年でライフプランを考えるクセがあると思うんですけど。私の場合は2016年に24歳だったので、次の御柱祭までに結婚して子どもを産むという計画を立てていたんですよね。だから次の御柱はがっつりは関われないな〜って。
ーー確かに諏訪の人って「次の御柱までに」みたいなことをよく言いますね! お年寄りから「次の御柱は見られねえわ(それまでに死ぬ)」みたいな冗談を聞いたことが(笑)。
そうそう(笑)。お年寄りは特にですけど、若い人も「次の御柱までに」というスパンで物事を考えがちだと思います。
前回の御柱で決めた通り、今は結婚して子育て中なので、今年の御柱は家族を見守る立場で参加します。子どもには自分と同じように、子ども木遣りに参加してほしいなと思っています。子どもの代にも伝統を繋いでいきたいですね。
“面倒”だけど、温かい
ーーそうなんですね。とはいえ御柱祭はいろいろと大変だと思うんですけど、氏子の負担についてはぶっちゃけどう感じていますか?
大変ですよね。結婚してから感じることですが、夫が御柱祭にがっつり関わることになったら嫌だなという気持ちもあります。
木落とし(柱に人が乗ったまま、急坂を一気に曳き落とす)などは単純に危険ですし、そうじゃなくても、御柱祭の前は毎朝諏訪大社にお参りにいったり、準備や練習でなかなか家に帰れなかったり。
御柱のあれこれって、現代の感覚では面倒だと思われることの方が多いと思います。上下関係もだし、準備のときの直会(なおらい)とか。御柱祭までに縄を締めたり曳行の練習をしたりといろんな準備があるんですけど、準備のあとには絶対飲み会があるんです。年代も違うし仕事も違う、普段だったら関わる機会がない人といっしょにお酒を飲むって、好きな人は好きだけど苦手な人は大変ですよね。
あとは振る舞いも大変です。特に御柱街道沿いの家では、誰でもウェルカムでご馳走を用意して振る舞います。ものすごくお金がかかるので、6年かけて「御柱貯金」をしたり。これも現代の感覚からするとありえないですよね。
ーー知らない人を家にあげてご馳走するんですもんね。普通はありえないですよね。
でも、私が感じてきた御柱祭の温もりって、そういう面倒な部分から生まれているものも大きいような気がするんです。そもそもあんなに大きな木を人力だけで運ぶということ自体が、普通ではないですし。
少子化だし、お祭りに関わる人の負担を減らそうというのもわかるけど、面倒なことを通して生まれる人とのつながりや地域の一体感がある気がします。自分自身、御柱祭でたくさんの温かさを感じてきたからこそ、子どもの世代にもこの温もりを繋いでいきたいなあと思っています。
ーーそうか……そもそもお祭りというものは、効率とか負担とかって観点で見るべきものではないかもしれませんね。お祭りの温かさを感じるお話しでした。ありがとうございました!
★第3回は、20年ぶりにUターンして御柱祭に参加した男性にインタビューします!