☑️天皇陛下のご祈祷も聖天さま
☑️諏訪のお殿様のご祈祷も聖天さま
☑️今でも残るゆかりのお店
今でも公式に天皇陛下のご祈祷をしています!
前回、諏訪高島藩主の守護仏『聖天さま』のお話しをさせていただきました。
https://suwa-tabi.jp/news/811/
今回は諏訪における聖天さまのご祈祷について書いていきたいと思います。
聖天さまのご祈祷は天皇陛下のご祈祷にも使われます。
現在でも続いています後7日御修法(ごしちにちみしほう)
真言宗をあげて、京都東寺に於いて正月7日より天皇陛下の安泰、国家の安泰のご祈祷を続けています。宮内庁より天皇陛下のお衣を渡され、ご祈祷を捧げていくのです。
そのご祈祷の一部に聖天さまのご祈祷が使われています。
天皇陛下だけではなくて、多くの戦国大名や有名な実業家など、聖天さまの信者さんは有名人がたくさんおります。
豊臣秀吉、徳川家康、紀伊国屋文左衛門、松下幸之助などなど・・・
諏訪の聖天さま
では、仏法紹隆寺の聖天さまはどうでしょう。
主な信者は藩主さまです。もともとは高島城内に聖天さまの祈願所があり、仏法紹隆寺の住職が出向いてご祈祷をしていましたが、享保6年(1721)に4代忠虎公が仏法紹隆寺の境内に移転させました。
当時は藩の事業ですので、今で言う公共事業です。建物は伊藤弥右衛門という大隅流の大工で、大隅流は諏訪大社などの建立も手掛けた一派です。その大隅流の現存する2番目に古い建物が仏法紹隆寺の聖天堂なのです。
聖天さまのご祈祷の記録は古文書として数十点も残されています。
当時はお寺の周りに警備の武士が立ち、藩主や家臣、御用商人などが参拝に訪れています。
特に藩主や家臣などは、自分の身代わりとして「刀」を預け、住職は「刀」をご祈祷し、ご祈祷が終わるとそれが肌護りとなり、身に付けてご利益をいただきます。
その際に奉納された刀も伝わっています。
そして、その記録には今でも現存するお店も登場するのですよ!
まずは、『大坂屋薬局』。大坂屋忠四郎よりのれん分けされて、現在でも薬局として現存します。当時の記録ではご祈祷に使用するお香を納入していたようです。
『岐阜屋』
聖天さまのお供え物で一番重要なもの「大根」を納入する岐阜屋さん。今はガソリンスタンドです。
こちらが記録です。
『舞姫』
「亀源」という味噌屋さんが聖天さまの信者さんだったのですが、亀源の酒造部門が「亀泉」現在の舞姫酒造です。明治時代からは聖天さまのご祈祷には舞姫さんのお酒を使っていたそうです。
『丸髙蔵』
「亀源」の醤油は、製法を松本醤油協業組合(松本)が引き継ぎ、営業は丸高蔵と丸正醸造が引き継ぎ、今でも亀源の醤油を販売しています。
聖天さまと同じご利益の違った仏さま
聖天堂には聖天さま以外にも仏さまが祀られています。
聖天さまの異形躰(同じご利益の違う形の仏さま)の『双身毘沙門天』
とても珍しい仏さまです。
金運や勝運、開運などを司る仏さまの「毘沙門天」とやはり金運、開運、厄除け、家内安全などを司る「吉祥天」が同体になっている仏さま。
また、毘沙門天と吉祥天は夫婦であり、良縁成就など縁を司る仏さまでもあります。
前回お話しした聖天さまの大恋愛の物語と通じるところがあるのです。
銀杏二天尊が間もなくおめみえ
聖天さまは絶対秘仏でお姿を目にすることができないのですが、「双身毘沙門天」は聖天祈願の9月15日~21日までのご祈祷期間に遠くからお参りすることができます。
遠いので、双眼鏡が必要ですけどね・・・
また、お殿様も祈りを捧げた仏さまのご利益を皆様にもっと身近に感じてもらうことはできないだろうか・・・と、双身毘沙門天のご分尊をお迎えする予定です。
「めおと大イチョウ」のギンナンの実の中に「毘沙門天」と「吉祥天」が現れたお姿となります。間もなく御目見えとなります。 お楽しみに~
(2020.6.6)
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ライター紹介 岩崎宥全諏訪生まれ。中学卒業後に諏訪を離れ高野山にて修行をしておりました。 |