諏訪湖の御神渡り(御渡り)今も息づく諏訪の自然信仰

毎年冬になると、諏訪地域では「諏訪湖に御神渡りができるか」が大きな関心を集めます。
ローカル新聞では連日、八劔神社による諏訪湖観察の様子が報道され、寒い日が続くと「今年は御神渡りできるかね」が人々の話題の中心に。

2018年に出現した御神渡り

2021年は3季ぶりに諏訪湖が全面結氷し期待が寄せられましたが、2月3日(水)、御神渡りの判定をつかさどる八劔神社の宮坂清宮司により、3季連続の「明けの海」(御神渡りが出現しなかった年の諏訪湖を「明けの海」と表現します)が宣言されました。

御神渡り・御渡りとは

御神渡りとは厳寒期に諏訪湖が全面結氷し、その氷が裂けて山脈のように盛り上がる自然現象です。
「御神渡り」と書いて「おみわたり」と呼ぶのが一般的ですが、正式には「御渡り(みわたり)」と書きます。(この記事では以降「御渡り」と表記します。)

諏訪の人々にとって、御渡りはどういう意味を持つのか。八劔神社の宮坂宮司にお話を伺いました。

八劔神社宮司 宮坂清さん(中央)

八劔神社 宮坂清 宮司
1950年生まれ。1985年より八劔神社宮司を務め、御渡りの拝観は35年目。
八劔神社(諏訪市小和田)は古くは諏訪湖に突き出た高島に祀られていたが、高島城築城にあたり現在地に遷移。「御渡り神事」は諏訪市無形民俗文化財に指定されている。
御渡りの記録は応永4(1397)年が最も古く、室町時代の嘉吉3(1443)年から現在までの578年間途切れることなく続く。

御渡りの伝説

ーー今日はよろしくお願いします。最近「御神渡り」は正式には「御渡り」と書くと知って驚きました。

「御神渡り」と書いた記録は一つもありません。「神」の文字がついていなくても、“何か尊いもの”が渡ったということが自明であったということだと思います。
こうした自然現象を、聖なるものと捉える。日本の自然信仰そのものですね。それが御渡りのベースにあります。

二十四節気の「小寒」から「立春」まで、毎朝諏訪湖の観測を続ける。(2021年1月9日撮影)

ーー御渡りの伝説について教えてください。

男神が女神に会いに行った道だというものですね。最近では「恋の通い路」なんて言われているようです。広く知られている伝説ですが、どのようにこの伝説が生まれたのか細かいことはわかりません。

御渡りの伝説
御渡りは諏訪大社上社の男神(建御名方神 タケミナカタノカミ)が下社の女神(八坂刀売神 ヤサカトメノカミ)のもとへ渡った跡であると言われています。

諏訪大社の上社と下社は諏訪湖を挟むようにして鎮座しています。
おそらくですが、まずはじめに御渡りの現象があって上社と下社の存在につながってくるのではないかと思います。

諏訪湖とともに生活していると、この現象が毎年同じような時期に同じような場所に発生するということがわかってくる。これは何か聖なるもの、湖の主がいらっしゃるに違いない、と氷の亀裂の始点と終点に神を祭る斎場を設ける。それがやがて、諏訪大社の上社と下社につながっていくというふうに考えるのが自然だと。

最初に神社があって、上社と下社をつなぐように御渡りができて、神様が渡ったと考えたわけではないと思うんですよ。最初は自然に対しての「畏れ(おそれ)」です。

凍てつく寒さでしぶきが凍る。(2021年1月9日撮影)

はじまりは自然への「畏れ」

ーー自然に対しての畏れ……。

雨が降る、太陽の光を浴びる、山から涼しい風が吹く、こんこんと湧き出る水の恵みをいただく。自然は恵みそのものですが、一旦狂ったらどうなるかということも体験的に知っているわけです。
自然の恵みを神聖なものとして受け止める。八百万の神と言いますが、すべてのものに霊力が宿っているという信仰になったんですね。

諏訪大社の神様についての伝説で、女神の化粧用の湯の雫が落ちたところに温泉が沸いた、というのもありますよね。それも温泉はただ沸いているものではなくて、神様のもの、神聖なものだということを言わんとしていると思うんですよ。

湯玉伝説
ある日、建御名方命は妃の八坂刀売命とけんかをし、妃は下諏訪へ移ってしまいました。この時綿にしめらせて運んだ化粧用の湯が途中で落ちて上諏訪温泉となり、綿を捨てたところが綿の湯になりました。(諏訪市博物館「なんでも諏訪百科」より引用)

御渡りについても、鏡のように凍っていた湖面に亀裂ができ、それが轟音とともに盛り上がる。これは湖に主がいて、その仕業であると考えた。
やがて神様が渡った跡だと受け止め、もうちょっとロマンチックな想像をはたらかせて、男神が女神に会いに行った跡だというふうに考えたのでしょうね。

この写真を見てください。これを見て、「恋の通い路」だと捉えるでしょうか。

大正2(1913)年の御渡り。30cmほどの厚さの氷が人の背の高さほどまで迫り上がっている。

ーーすごい迫力ですね。恐ろしい……ちょっと泣きそうです。

泣きそうになるでしょう。今のその素直な表現がすべてだと思いますよ。
諏訪湖に流れ込む川は31河川ありますけど、出るのは「天竜川」一本です。「天竜川」ですよ。御渡りについての記録『御渡帳』に「竜」は出てきません。でも、この写真を見たら、諏訪の明神様は竜の姿となって現れたという話に展開してくるのは理解できますよね。

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はじめに自然への畏れがあって、それが信仰につながっていった。自然現象を聖なるものとして語り継ぐ中で、いろいろな伝説が生まれてきたという捉え方をしています。

御渡りができる前の氷の亀裂。蛇(諏訪の神を蛇の姿とする民話も残っている)が這ったようにも見える。

記録し続けること

ーー御渡りの記録は室町時代の嘉吉3(1443)年から現在まで、578年もの間続けられているそうですね。

そうです。最初に湖の南北を貫く氷脈を「一之御渡り」、次の氷脈を「二之御渡り」(「重ねての御渡り」)、これに交差して東西に走るものを「佐久之御渡り」と言います。室町時代から変わっていません。
記録を読むと、御渡りが交差したということを「湖中にてご参会された」と書いてあります。氷の亀裂が交差したことを、神様が湖中でご参会されたと表現する。昔の人の感性に感嘆します。

1443年から1681年の記録が残る『当社神幸記(とうしゃしんこうき)』の写し。

ーー近年では「明けの海」の年も多くなっていますが、どのように受け止めていらっしゃいますか。

御渡りができない年が続いていますね。それはそれで、「できなかった」と記録にとどめることが、すごく大事な意味のあることなんですよ。1443年から578年間の歴史の中で、「明けの海であった」と書いた人は僕はえらいと思う。普通、何もなかったときには何もありませんでしたってわざわざ書かないじゃない。
「明けの海」がどんな意味を持つのか。自然から人間社会への語りかけ、警鐘として受け止めています。

ーーありがとうございました。

大正6(1917)年の諏訪湖。飛行機の離着陸訓練場になるほど厚い氷が張っていた。

終わりに:今に生きる自然信仰

諏訪地域に住んでいて思うことは、「自然信仰」が今も人々の中に息づいているということです。寒くなれば期待をし、暖かい日には気を揉んで……祈るような気持ちで諏訪湖を見ている人も多いのではないでしょうか。

宮坂宮司は「御渡りがどのように発生するのか、科学的には解明されている。それでも御渡りを目の当たりにすれば、人間の手には負えない自然の力、不思議な現象だなと思うじゃないですか。自然現象を聖なるものとして捉えるということが人々の心に生きているからこそ、御渡りの伝説が語り伝えられているんだと思います」と話します。

風で湖岸に打ち寄せた諏訪湖の氷(2021年1月20日撮影)

近年では世界でも類を見ない長期的な自然観測データとして注目を集めている『御渡帳』。御渡りができてもできなくても、毎年、御渡りの観測と記録は続きます。
今年はこのまま御渡りの兆候が見られなければ、2月21日(日)に「御渡注進奉告祭(みわたりちゅうしんほうこくさい)」で神前に「明けの海」を告げることになっています。

ライター:おいちゃん

信州松本生まれ、10歳から東京渋谷育ち。カルチャーショックを受け、小学生にして将来は地方移住することを念頭に生きる。大学卒業とともに縁あって茅野市に移住。諏訪旅1人編集部の編集長。

               

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