岡谷蚕糸博物館―シルクファクトおかや―では2021年1月21日(木)から4月18日(日)まで、企画展「諏訪のものづくり―蚕糸業から精密業へ―」を開催しています。
新人ライターにして諏訪圏の文化・歴史を勉強中の私が行かないわけにはいかない企画展です!
岡谷蚕糸博物館―シルクファクトおかやとは
岡谷蚕糸博物館は、日本で唯一、民間の製糸工場を併設している博物館。常設展では蚕糸業の発展の歴史を学べるだけでなく、糸繰りの実作業を間近で見られ、製糸工場の匂い、熱気、音などを体感できるユニークな博物館です。
製糸業が大きく繁栄した岡谷の歴史や、シルクとの関わりで発展していった文化、現在の『岡谷シルク』のことなどは、地域おこし協力隊の先輩でもある佐々木千玲さんのこちらの記事に詳しいので、ここでは割愛します。
常設展を見ると、明治・大正から昭和初期あたりの時代に、いかに岡谷市、諏訪地域が蚕糸業、製糸業で発展していったかがよく分かりますよ。
蚕糸業から精密業への転換 「継承」の足跡を辿る。
さて、常設展エリアを抜けて、宮坂製糸所の工場見学スペースに入る前あたり、企画展エリアにやってきました。
まずは、年表パネルを見てみます。セイコーエプソン、東洋バルブ、キッツ、オリンパス、TPR、日本電産サンキョー……私でもわかるような大きな会社名が並びます。
岡谷・諏訪が精密機械工業で発展してきた地域であることは今更言うまでもないわけですが、どのようにして『東洋のスイス』と呼ばれるまでになっていったのか。この企画展を通して知ることができました。
そこには、昭和恐慌の影響による製糸業の危機的状況という背景があり、第二次世界大戦の戦時中には製糸工場の土地と建物、たくさんの人材がいたことで、航空機部品、光学機器、バルブ等の工場の疎開先になったという歴史も含まれています。
戦争という大きな流れの中で止むを得ず軍需製品を作っていた時代もあったことが、実際の展示品をみることでリアルに感じられました。そして戦後、技術を社会貢献に生かせる製品作りに転換していったのだそうです。
一貫しているのは、工女さんをはじめとする人の手による細かい仕事が中心になっていること。製糸工場での工女さんと、時計の組み立てを行う女性たちの働く姿が上下に重なるポスターが秀逸です。蚕糸業から精密業へ、確かに「継承」されていったのだなぁと感じられました。
マニアでなくても見ていて楽しい。昔の一眼レフカメラや腕時計
企画展にはたくさんの会社が協力していて、1950~60年代のオリンパスやヤシカのカメラ、セイコーの腕時計や東京オリンピックで使用されたクリスタルクロノメーターなどが展示されています。
これらの展示は時代に沿って眺めているだけで楽しいものでした。セイコーは、戦後すぐ、1946年には「婦人用5型腕時計」というのを出しているんですね。9月11日から開発を始めて翌年1月22日に完成させた、と書かれていたのですが、私はその素っ気ないキャプションに感心してしまいました。きっと、戦中から「いつか時計を作るぞ」って心に秘めていて、戦後すぐに取り掛かって……。ものすごい情熱をかけた取り組みだったに違いありません。
そんな風に、時代背景と共に製品の変遷を見て、復興していく温度感や精密工業の盛り上がりを感じられるのも、またおもしろい企画展でした。
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ライター:石田 名保子40代、ワーママ、一児の母。自然豊かな環境と都市の便利さが絶妙に交じり合う、諏訪市に魅力を感じて家族で移住してきました。 |