諏訪の民話・伝説をめぐる旅 8
~下諏訪・信玄の馬が止まった「承知川」と島木赤彦の家「柿陰山房」(秋宮→大和編①)~

☑️ 信玄の伝説が残る承知橋の魅力
☑️ 鎌倉街道の絶景ビューポイントから諏訪を眺める
☑️ いかにも文豪の家! 柿陰山房(しいんさんぼう)

コロナ禍がまだ収まらない中ですが、お散歩によい季節となりました。
日頃の運動不足を解消する為に歩こう! と、かねてより気になっていた甲州街道を、下諏訪駅から上諏訪駅へと向かいました。片道5kmくらいでしょうか。
今回は道中が長いので、2編に分けて紹介します。

今回参考にさせて頂いたのは、『下諏訪歴史散歩』と『諏訪湖を見下ろす甲州街道と、伝承の里「大和」を巡る旅』。それから、各名所に立つ案内板です。

下諏訪駅から歩き始め、まずは国道20号を秋宮方面へ。

国道から土産物店や、湯温の高さで有名な「菅野温泉」などを見ながら秋宮の方に進むと、「中山道下諏訪宿 立町」の提灯が目に入ります。その横に、江戸の面影を残す面白い物が。

三辻に立つ「高札場」。本によると、高札とは上のお役人からの法度(法令)や、犯罪人の捜査願いなどを書いた立札です。
こんな札を眺めていると、江戸時代の村人になった気分になりますね。

格子窓が美しい春屋。

秋宮が見えてきました。駅からここまで、およそ15分くらいです。


今回の出発点。鳥居の前で手を合わせて、甲州街道を上諏訪へと右へ曲がります。ここからは道が狭いので、車に気をつけて。

信玄の伝説が残る「承知橋」の魅力

秋宮から500m。10分程で、1つ目の伝説スポットへ到着です。承知川にかかる「承知橋」。

看板にある信玄の伝説を見てみましょう。
「伝説によると永禄4年」とありますので、時は1561年。
「武田信玄が川中島の戦いの砌(みぎり)、諏訪大明神と千手観音に戦勝祈願を約し社殿の建替と千手堂に三重の塔の建立を約して出陣したという」


当時、この辺りには、秋宮の神宮寺という大きな寺の敷地が広がっていたそうです。この寺の本地仏が、千手観音でした。(明治維新のときの廃仏毀釈によって、現在は岡谷市の照光寺の秘仏となっています)

お話は続きます。
「しかし戦に利あらず帰途この橋を通過せんとしたが乗馬は頑として動かず信玄ふと先の約定を思い出され馬上より下りて跪き(ひざまずき)、『神のお告げ承知仕り(つかまつり)候』と申し上げ帰国したという」

信玄が馬を下りて、諏訪大明神と千手観音に「(建物の建立を)承知しました!」と言ったから、ここを承知橋と呼ぶようになったということです。近くに当時の石橋が残っています。

後日行われた下諏訪の街歩きに参加したときのもの。皆さんが見ている石橋の模様にも伝説があって、看板によると「煉瓦(れんが)模様には防滑とも信玄の埋蔵金の隠し図とも言われてきた。」
さて、どう見たら良いのでしょう??

鎌倉街道の絶景ビューポイントから諏訪を眺める

承知川を渡ってさらに進みます。

歩き始めてすぐ、こんな看板が。
「鎌倉街道ビューポイント」。


これは行ってみなければ! 地図通り行ってみることにしました。

地図に沿って400mほど坂を登ると、六地蔵様が見えてきました。

ということは、この道が「鎌倉街道」です。

反対方向の鎌倉街道もいつかまた、歩こうと思います。
六地蔵を更に登ると、若宮神社が見えてきました。

本殿は平成に再建されたそう。祭神は建御名方命と八坂刀売命の13柱の神子たちとのことです。
地図によると、350mほど歩くとビューポイントがありそう!

森林セラピーのような素敵な道。

ビューポイント手前、下諏訪町のこの景観。遠くは岡谷の高架橋まで見通せます。曇り空☁なのが残念です。

鎌倉街道ビューポイントは最近、長野県の元気作り支援金を得て整備されたそうです。東屋も建っていました。晴れた日にお弁当を持ってきたい!

晴れていたらなぁ……。目の前の崖を見ると、ここが断層の上だ、ということを実感します。


しばし東屋で小雨を避けて休憩し、再び甲州街道へ。
甲州街道へ戻って10分ほど歩くと、「明治天皇駐輦址(ちゅうれんあと)」と書かれた碑がありました。


明治天皇が行幸中、ここから諏訪湖をご覧になったそうです。右は「石投場」の碑。昔はこの下まで諏訪湖だったため、ここから石投をしたそう。

いかにも文豪の家! 柿陰山房(しいんさんぼう)

案内板によると、承知川橋から1,600m。石投場の碑から10分ほどで、島木赤彦の家、柿陰山房(しいんさんぼう)に到着です。

看板から50mほど、美しい石畳の道を歩きます。

到着しました。

アララギ派という短歌結社の代表的な歌人、島木赤彦は本名を久保田俊彦といい、この久保田家に養嗣子となりました。明治30年から亡くなる大正15年までこの家で暮らし、短歌の活動をしていたそうです。

様々な花が美しい庭。あちこちに歌碑が立っています。

重厚な茅葺き屋根。

赤彦は柿の実が好きで、この家を柿陰山房と名付け、自分の筆名にも「柿の村人」「柿の村舎(むらやど)」などを使ったそうです。

赤彦の里の散歩案内には、歌碑や墓所などの案内も載っていました。アララギ派巡り、といった別テーマでのお散歩も楽しそうです✨

「みづうみの氷は解けてなお寒し三日月の影波にうつろふ」赤彦

下諏訪の甲州街道を歩いた人々は、どんな思いで諏訪湖や下諏訪の軒並みを眺めたのでしょうね。
(秋宮→大和編②へ続きます。お楽しみに。)

ライター紹介:河西 美奈子

司書でスワんこプロジェクト(諏訪の文化を伝える紙芝居を作るグループ)リーダー。星と落語・講談が好きで、最近古道散歩にハマっています。
諏訪にはもっとディープな人が多いので、まだまだ序の口。
https://www.facebook.com/SwancoProject

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