【御柱祭インタビューシリーズ同行記】御柱祭、1200年の歴史と今の諏訪が交わるとき

いよいよ今週末には山出しが行われる御柱祭。本番を盛り上げるように御柱祭の公式サイトでも新たな氏子インタビュー記事が公開されました。

新たに追加されたのは、神事に使う薙鎌をつくる山田金山講 薙鎌の会の方たち、御柱祭に欠かせない“おんべ”をつくる職人さん、御柱休めの神事を請け負う中金子地区の氏子さん、古くからの長持の伝統を守る東山田長持保存会さん、諏訪大社との関わりも深い八劔(やつるぎ)神社の宮司さんのお話。さまざまな形で御柱と関わる人たちに話を聞くインタビューシリーズです。

【御柱公式サイト・氏子インタビュー】
▶山田金山講 薙鎌の会:https://onbashira.jp/ujiko/nagikama/
▶中洲中金子 岩波弘之さん:https://onbashira.jp/ujiko/onbashirayasume/
▶おんべ職人 廣瀬勝也さん:https://onbashira.jp/ujiko/onbe/
▶八劔神社宮司 宮坂清さん:https://onbashira.jp/ujiko/komiyasai/
▶東山田長持保存会 滝脇正志さん:https://onbashira.jp/ujiko/nagamochi/

御柱祭公式サイト

このインタビューにはハチ旅スタッフも同席しており、いっしょにいろんなお話を聞かせていただきました。インタビューを通じて感じたのは、1200年超の歴史と2022年の「今ここ」が入り交じる祭りの姿でした。

1200年にわたって諏訪の人が大事にしてきた御柱祭

ニュースなどで御柱祭が取り上げられるとき、よく取り上げられるのは「(数え年で)7年に一度」という点、木落しなどの派手な場面、そして長い歴史です。

御柱祭は現在見つかっている室町時代の資料によれば平安初期から行われているとされており、今に至るまで1200年以上続く神事です。古い御柱を倒して普通の木に戻す一連の神事・御柱休めを担う諏訪市中洲中金子区の神社委員・岩波弘之さんや、八劔神社の宮坂清宮司のインタビューでも、御柱祭の歴史や地域との歴史的関わりが紐解かれています。おふたりのインタビューを読むと、式年造営(決まった年数ごとの社殿の建て替え)という本来の目的や、武田信玄の諏訪進出以後の復興、労役的な側面を持ちながらも親しまれ、続けられてきた御柱祭と諏訪の人々の関係が見えてきます。

八劔神社の宮坂清宮司

こうした歴史のなかで積み上げられた地域との関係は、御柱休めという中金子地区の特別なお役目や、八劔神社が司る御神渡り、下諏訪・東山田地区と下社の関係といった形で現在も受け継がれています。

6年という間隔が生む変化と伝統

1200年という年月によって培われた伝統は御柱祭を支える重要な要素で、「その伝統を守り、受け継ぐ」という意識を持つ人は今も多いでしょう。東山田長持保存会のインタビューでも、諏訪大社の道具を運ぶという元来の役割や形を大事にして受け継ぐ姿が語られています。

ですが、それと同時にインタビューで見えてきたのは時代とともに姿を変えてきた御柱祭の姿でした。

昔ながらの形を守る東山田の長持を知ることで現在の長持が時代とともに華やかに変わっていったこともわかります。また、おんべ職人の廣瀬勝也さんのインタビューからは廣瀬さんが知っている数十年の間だけでもおんべの素材や装飾が変化していったことを知ることができます。

現在では装飾要素も多くなっている長持ですが、下諏訪・東山田地区の長持は伝統を守るシンプルな姿をしています

おんべ職人の廣瀬勝也さん

また、山田金山講 薙鎌の会の方たちへのインタビューでは、神事に使われる薙鎌の形がこの100年ほどの間だけでも少しずつ形が変わってきたことがわかります。現在使われている薙鎌は明治7年の原寸図に合わせてつくられていますが、1990年にこの原寸図が発見されるまでは、少しずつ違った形の薙鎌が使われていました。形が厳密に定まっていたわけでなく、時代ごとに微妙な変化を繰り返していたことが過去の記録でもわかっています。

明治7年の薙鎌の原寸図。現在の薙鎌はこの図をもとにつくられています

伝統と変化で印象的だった話は中洲中金子地区の岩波さんのインタビューでのお話です。岩波さんは「6年おき(数え年で7年に一度)という間隔が絶妙」だと話しています。たとえば、お役目を終えた古い御柱はかつて運ぶのに便利だった水路を使って中金子地区に運ばれていましたが、河川整備の結果、川の形が変わり、水路が便利ではなくなってからもしばらくはそれまでどおり柱を川に流して運んでいたといいます。そもそもなぜ水路を使っていたのかといった理由が忘れられ、「前回もそうしていたから」という形式だけが残ったためです。

中洲中金子地区の氏子が請け負う御柱休めの様子

6年という間隔が変化を呼ぶ場合もあれば、この例のように由来やそもそもの理由が忘れられ、従来の形式がそのまま伝統化したものもあるといえるでしょう。そんなふうに6年という間隔による忘却が伝統に変化をもたらしたり、逆に古くからの姿を保存したりしながら、現在の御柱祭は形づくられています。

地域の産業や技術と結びつく神事

そしてもうひとつ面白かったのは、御柱祭の伝統が平時の産業や技術とつながり、支えられているという点です。

たとえば、おんべは御柱祭には欠かせないもので、御柱の年には大量に必要になります。ですが、御柱祭があるのは7年に1回だけ。おんべづくりを専業にすることはできません。

60年以上おんべづくりをしている職人の廣瀬勝也さんも、そもそもの本業は建具屋さん。普段から木やかんなを扱っている人たちが、御柱の年になると仕事としておんべをつくっています。木を扱う職人さんたちとその産業があることが、御柱祭の下支えになっているわけです。

7年に一度のことですが、いざ御柱の年となると一家総出でおんべづくりに関わります

逆に、山田金山講 薙鎌の会のように御柱祭があることで保存につながった技術もあります。この会は神事に使う薙鎌をつくるための集まりですが、その母体となったのは信州鋸(しんしゅうのこぎり)をつくる山田金山講呼ばれるこの地域の鍛冶衆。1990年に、鋸をつくる山田金山講の職人さんに薙鎌をつくってほしいという依頼が来たことから、山田金山講での薙鎌づくりがはじまりました。

以後、山田金山講の職人さんが薙鎌をつくってきたのですが、鋸職人も高齢化し減少。引き継ぐ人がいなくなる危機にも瀕していました。そんなときに、地域の有志が「薙鎌づくりを手伝いたい」と申し出て、鋸づくり、薙鎌づくりの技術を受け継ぐ薙鎌の会が生まれました。御柱祭や諏訪大社があったことが、信州鋸の技術を継承するきっかけになりました。

山田金山講 薙鎌の会の様子。御柱の年でなくても、月に1回は集まって技術を磨いています

7年に一度だけの神事は、地域の産業を支えたり、支えられたりしながら続いているのです。

お祭りとしては7年に一度だけですが、それ以外の時間にも産業、地域、生活と深く結びついているのが御柱祭なのだということを感じるインタビューシリーズでした。

▶御柱祭公式サイトインタビュー一覧はこちら
https://onbashira.jp/ujiko/

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