諏訪の民話・伝説を巡る旅3
~浄瑠璃「本朝廿四孝」より、八重垣姫~

☑︎諏訪市湖畔公園前に立つあの銅像の正体は?
☑︎浄瑠璃の演目として作られた『 本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)』
☑︎伝説の兜が展示されている博物館へ行ってみましょう!

諏訪市湖畔公園前の、諏訪湖に立つあの銅像の正体は?

諏訪の民話・伝説を巡る旅の第3回です。
第1回 岡谷湊地区西街道で、あじさい寺へ
第2回 諏訪の和泉式部伝説『お地蔵さまとかね』

諏訪湖に立つこの銅像、見たことがある方は多いのではないでしょうか。

今回は私の電動自転車、マルス4号🚴で諏訪湖畔を走りながら、この銅像の正体、「八重垣姫(やえがきひめ)」のお話について取り上げてみたいと思います。

まずは、諏訪市湖畔公園へ行ってみましょう。
初島をバックに立つ八重垣姫の銅像に近づいてみると、やや、何か書いてあります。

浄瑠璃の演目として作られた『 本朝廿四考(ほんちょうにじゅうしこう)』

はて、どんなお話なのでしょう。
古い本を探してみました。


『 本朝廿四孝 』は、江戸時代半ばに、当時流行っていた浄瑠璃の演目として書かれたお話(謡曲)です。今でも歌舞伎の定番としても人気があるようです。

私は全部は読めないので💧
竹村良信先生の『 諏訪の民話』に書かれている「八重垣姫」のお話を参考にさせて頂きながら、該当箇所を見ていきました。

明和3年、1766年です。この年のお正月の演目として、上演されたのでしょうか。

解説が難しいのでかなり割愛して、物語の4段目、「十種香の段」「狐火の段」から八重垣姫のお話をざっと。(フィクションです)

戦国時代、武田信玄と上杉謙信は信濃の地で争っていました。
見かねた時の将軍の妻が、信玄の息子勝頼と、謙信の娘八重垣姫の結婚を約束させ、仲をとりもちます。
謙信は信玄に頼み込んで、信玄の〈 諏訪法性の兜(すわほっしょうのかぶと)〉を借りていました。

諏訪の謙信の屋敷で勝頼の絵姿を壁にかけ、妻となる日を待つ八重垣姫。
ところがある日、勝頼は陰謀にあって亡くなったと聞かされます。命日に、八重垣姫は死者を呼び返すと言われる〈十種香〉を焚いて、勝頼を弔います。

一方、勝頼は死んだと見せかけて、箕作と名前を変え、諏訪法性の兜を取り戻すために、庭師として謙信の屋敷に忍び込んでいました。
命日に、庭で2人は出会います。
互いに想いを伝え、八重垣姫に諏訪法性の兜を取り戻す手伝いを頼む勝頼。

そんな2人の姿を、謙信が見ていました。
謙信は勝頼である箕作を塩尻に使いに出し、追手を放ちます。
気づいた八重垣姫は、なんとか追手があることを勝頼に伝えようと、諏訪法性の兜に祈ります。

「ああ、鳥になりたい。翼が欲しい…」
八重垣姫の姿はいつしか狐となり、諏訪法性の兜を手に、凍って御渡の走る諏訪湖の空の上を、狐火と共に渡って行きました。

八重垣姫は勝頼に諏訪法性の兜を渡し、追手のあることを伝えました。勝頼はこれを退治し、2人はめでたく結ばれるのでした。

実際にはもっと複雑なストーリーです。かなり端折っていますのでご承知おきください。

そんな訳で、八重垣姫が手にしているのは、諏訪大明神さまの神通力が授かるという〈 諏訪法性の兜〉なのです!

このお話が江戸でヒットしたお陰で、諏訪大明神さまについてちょっと困ったことが起こるのですが、それはまた後ほど。

因みに、「近松半二ってどんな人?」と疑問に思っていたら、なんと2019年の直木賞作、大島真寿美著の『渦 妹背山女庭訓』は、近松半二の生涯が書かれていました!
本朝廿四孝は出てきませんが、時代の雰囲気が目に見える気がします。
こちらも合わせて読むと楽しいですよ📖

伝説の兜が展示されている博物館へ行ってみましょう

湖畔公園から自転車で下諏訪方面へと向かいます。
下諏訪観光教会のパンフレット、「諏訪湖ぐるっとサイクルマップ」があると良いかもしれません。

湖畔公園横に、先ず目に入るのは片倉館。昭和4年に建てられた、千人風呂とも言われる大きなお風呂のある建物です。

自転車はジョギングロードを走れないので、湖畔通りを進みます。

2分ほどで、美味しいものがいっぱいの「くらすわ」。オリジナルの〈 くらしゅわサイダー〉は、お中元などによく使わせていただいています。


伊那の亀万のお饅頭や、長門牧場のチーズなどの扱いもあって、嬉しいお店です🧀


3分ほど更に進むと、左手に諏訪湖間欠泉センター、右手にタケヤみそ。
諏訪市内の小学校2年生の社会科見学ではお馴染みの場所で、味噌ソフトが食べられます🍦

左手の土手を上がると、足に柔らかいジョギングロード。

こんな景色を見ながらなら、ジョギングも気持ちいいかも!


タケヤ味噌から5分ほど進んでいくと、諏訪湖畔にある素敵な美術館の1つ、北澤美術館が建っています。
アール・ヌーヴォーのガラス工芸を主に収蔵していて、エミール・ガレの「ひとよ茸ランプ」などが有名です。
県外からのお友達には、必ず紹介したくなる美術館です。

下諏訪へ向かって自転車を走らせること10分ほど。見えてきました!
銀色の船をひっくり返したような建物。

諏訪湖博物館・赤彦記念館です。
下駄スケート発祥の地の、記念碑も立っています。

ここに、あの伝説の兜が!


これが、諏訪湖博物館に収蔵されている、武田信玄の〈諏訪法性の兜 〉です!

ごくたまに、「八重垣姫」のお話をすることがあり、解説用に許可を撮って使わせていただいている写真です。(今回の掲載も了承いただいています)
館内には、レプリカが展示されています。

諏訪湖博物館では、八重垣姫の浮世絵のコピーも販売しています。

「新形三十六怪撰 二十四孝狐火之図」 月岡芳年 作画期(1853~没年)

「木曽街道六十九次之内 下諏訪 八重垣姫」 歌川国芳 作画期(1812~1860)

浮世絵は1枚400円。(購入して、写真掲載許可をいただきました)

江戸時代の物語の雰囲気が伝わってきますね。ぜひ、浄瑠璃や歌舞伎の本編を見てみたいものです。

「本朝廿四孝」がヒットしたお陰で、諏訪大明神さまが困ったこと。
諏訪法性の兜は諏訪大明神さまから信玄が賜ったものですが、その化身が「狐」という設定。だから、たくさんの狐火が。

え?狐?
諏訪大明神と言えば龍が化身でしょう?
この作品のヒットのお陰で、諏訪以外では狐が諏訪大明神さまの化身だと思われているところがあるようです。
あくまで、お話の上の設定だったのでしょう。

因みに、諏訪の八剣神社では、昔御柱祭の時に人形を飾る習わしがあったそうです。
前回の御柱祭の時に、宮坂宮司さんが、氏子の皆さんと作って舞殿に展示したものの写真をお借りしました。


作っちゃったんですね! 八重垣姫。
地元の方々の熱量を感じます。

江戸の庶民にも愛されてきた八重垣姫の物語。
諏訪法性の兜や、諏訪湖の御神渡など、お諏訪様の信仰は江戸時代でも、全国的に知られていたのですね。

 

ライター紹介:河西 美奈子

司書でスワんこプロジェクト(諏訪の文化を伝える紙芝居を作るグループ)リーダー。星と落語・講談が好きで、最近古道散歩にハマっています。
諏訪にはもっとディープな人が多いので、まだまだ序の口。
https://www.facebook.com/SwancoProject

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