長野県岡谷市は、かつて世界一を誇った製糸業の歴史とシルク文化を次世代に伝える取り組み「岡谷シルク」のブランドサイトを3月31日にオープンしました。
かつて日本は世界一の生糸輸出国だったということをご存じですか?
1859年に横浜・長崎・函館の3港が開港してから昭和初期まで、シルクは日本の主要輸出品として日本経済を支えました。
明治政府の富国強兵政策の中で、殖産興業の柱となったのが「生糸輸出」。幕末の頃、ヨーロッパで蚕の病気が蔓延していたことから、貿易商人たちはこぞって日本の生糸を買い求めたのです。1909年には、日本は世界一の生糸輸出国になりました。
そして当時の生糸生産を支えた一大産地が、長野県岡谷市です。
「SILK OKAYA」世界に誇った岡谷の製糸技術
1872年、富岡製糸場の開業と同年に上諏訪で長野県初の機械製糸場が創業し、信州各地で製糸業が盛んになります。
この時期に製糸業を始めた1人が諏訪郡川岸村(現在の岡谷)の片倉市助でした。庭先で10台の座繰り機で糸取りを始め、その子息の片倉兼太郎が世界一の生産量を誇る製糸工場へと発展させました。
1875年には平野村(現岡谷市)で中山社を創業した武居代二郎らが「諏訪式繰糸機」を開発。これにより低価格で高品質の生糸を生み出すことが可能になり、岡谷市は生糸の生産量だけでなく品質と技術においても世界一になりました。
国内では「糸都(しと)岡谷」、海外では「SILK OKAYA」と呼ばれ、世界にその名を知られるまちとなります。
先人からの大いなる遺産を未来へ
世界一の生糸生産地だった岡谷には、今年100周年を迎える国登録有形文化財、旧山一林組製糸事務所といった近代化産業遺産、製糸の歴史を伝える岡谷蚕糸博物館、日本に4か所しかない製糸工場のひとつ宮坂製糸所など、シルクに関わる貴重な資産がたくさんあります。
先人の大いなる遺産を未来に伝えるために、シルクを教育に活かすユニークな活動も行っています。また、市内で約30年前に途絶えた養蚕農家を復活し、養蚕、製糸、製品化までオール岡谷産シルク製品の開発ができる環境になってきました。
「岡谷シルク」はまちの歴史と文化を活かし「新しいシルク文化」を創造する取り組み。養蚕、製糸、織物の体験プログラムや、教育プログラム、オール岡谷産シルク製品の開発など、岡谷だからできる様々な企画を準備中とのこと。随時、「岡谷シルク」ブランドサイトに情報をアップしていくそうです。
シルクに触れて、感じる体験が諏訪地方の旅の目的に加わりそうですね。
岡谷シルクの取り組みについてはFacebookページ、Instagramでも情報発信しています。ぜひご覧ください。