諏訪の民話・伝説を巡る旅4
~岡谷市川岸・洩矢神vs建御名方神の戦いの場所を訪ねて~

☑️出雲からやってきた建御名方神が、諏訪の洩矢神と戦った場所へ
☑️天竜川を渡る昔の「びったら橋」
☑️蚕糸王国岡谷の栄華を偲ぶ川岸地区

諏訪の民話・伝説を巡る旅、4回目は岡谷市川岸地区へ、伝説の舞台を訪ねに行ってみました。
洩矢神VS建御名方神の戦いがあった(注1)という伝説は聞いたことがあったけれど、謂れの残る場所が残されているとは!!
これは、確認しない訳に行きません。

(注1)洩矢神VS建御名方神の戦いについて
諏訪大明神画詞(えことば)延文元年(1356)によれば、昔諏訪には先住の国津神の洩矢神がおられた。そこへ建御名方命(諏訪明神)が侵入されようとした。川岸の地で洩矢神は鉄の輪を建御名方命は藤の枝を持って争ったが、洩矢神は命の稜威に服した。
〜洩矢神は建御名方命に服属しその最高の職神長官となり、建御名方命を助けて諏訪の地の開発につくされた。
長野県神社庁HPより要約)

今回はJR岡谷駅裏から、川岸橋原地区を回って岡谷駅へ戻るコースです。自転車で小一時間、往復6kmくらいでしょうか。愛車のアシスト自転車マルス4号でお出かけです。

手書きのマップで、見づらくて申し訳ありません😅

天竜川を渡る昔の「びったら橋」

岡谷駅西口からスタートして、天竜川へ向かいます。西友を右手に見ながら天竜川に出ると、目の前に「駅南天竜橋」が見えてきます。
高速の高架を眺めながら橋を渡って橋原地区へ。

天竜川がとうとうと流れて行きます。
天竜川を右手に見ながら自転車を500mほど走らせて行くと、次の橋が見えてきました。

この橋原橋のたもとに、こんな場所が!

天竜川は昔、諏訪湖の水はけを良くする為に、橋をかけていなかったのだそうです。
ここには、春の彼岸から秋の彼岸までは船で行き来し、冬の間、川に置いた石に木の板を渡して川を渡っていたとあります。

薄い板だから、人が歩くとびったら、びったらと木がしなかって水につき、音がしたから「びったら橋」と言ったそうです。ちょっと怖いですね😨

昔の面影を保存して下さっている地域の皆さんはすごい!と思います。

出雲からやってきた建御名方神が、諏訪の洩矢神と戦った場所へ

びったら橋から500mほどで、洩矢神社に到着です。

ここで、洩矢神VS建御名方神の戦いの伝説を見てみましょう。諏訪円忠が書き、今井広亀先生が現代文に直した「諏訪大明神絵詞」の六十二段を要約します。

藤島の明神というのは、この尊い神様が(諏訪に)現れた時、悪賊の洩矢が明神がいることを邪魔しようとした。洩矢は鉄の輪を持って戦い、明神は藤の枝をとって洩矢をひれ伏せさせた。そして鉄の輪を降ろして(明神の)正しい法を興した。
明神が誓いを建てて藤の枝を投げると、たちまち根が生えて枝葉がしげり、花が鮮やかに咲いて、戦場のしるしを萬代も後の世に伝えた。
藤島の明神というのはこういう理由による。

洩矢が鉄輪を持って天竜川で対峙をした場所が、この洩矢神社だということです。立派な神社で紋は1枚の柏紋でした。

2017年頃、諏訪信仰を盛り込んだ「東方風神録」というゲームが流行って、この洩矢神社、主要キャラクターの聖地になっていたそうです。絵馬がたくさん。ゲーム恐るべし!

気を取り直して、明神さまの藤島社を目指しましょう。

蚕糸王国岡谷の栄華を偲ぶ川岸地区

洩矢神社から天竜川をさらに1.5kmほど下っていくと、竜上橋に出ます。この橋を渡って三沢地区へ。

橋の上から来た道を振り返ると、こんな風景が。この川を挟んで二神の軍が対峙したのかな…。

川岸地区には、岡谷が蚕糸王国だったころの形跡がいくつも残されていて、昔の栄華が忍ばれます。
県道下辰線の道沿いにあり、岡谷の公園を代表する、鶴嶺公園に寄ってみましょう。

花の写真がなくて残念ですが、春には3万本のツツジが咲き誇ります。
この公園を作ったのが、初代片倉製糸の片倉兼太朗翁。

公園の由来には、こんなことが。

当時発注を受けた業者が、「車3台分」というツツジの発注を、天下の片倉製糸だからと「貨車3台分」送ってきたのだそうです。
それで公園を作ってしまったのだから、当時の岡谷の製糸業の凄さを思いますね。
仕事に追われた女工さんたちの、憩いの場でもあったようです。

藤島社はもうすぐですが、ちょっと珈琲ブレイク☕
鶴嶺公園から500mほど駅よりの道沿いに、パンのお店「あるとふぁごす」があります。
ハードなパンが美味しいお店です。お土産にクルミやレーズンの入ったパンを購入。美味しく頂きました🥖

さて!
あるとふぁごすさんから、鉄道の高架をくぐって200mほど。
ようやく建御名方神が藤の枝を持って戦った藤島社に到着です。
入口には、「入諏伝説の地」の案内板が立っています。

鳥居に対して、正対せずにお社が左にあるのが不思議。何か謂れがあるのかしら。

この場所には、かつては藤の枝が茂っていたのだろうか…。
しばし想像を巡らせました。

旅の最後に、藤島社の向こうにあるレンガ作りの建物、現在は中央印刷株式会社の建物を訪ねてみましょう。

「片倉組」発祥の地とあります。
ここから、岡谷の製糸業は発展していったのですね。
諏訪には1000人風呂といわれる「片倉館」がありますが、中央印刷さんのこの建物も、当時の瀟洒な雰囲気を伝えています。

おまけですが、参加させて頂いた龍神プロジェクトで作った「諏訪の龍神さま」の絵本は、中央印刷さんの印刷によるものです。
日本で唯一の特許技術のキラキラ印刷が施されています。是非手に取って見てください✨

岡谷市の川岸地区は、古代の神話と、近世の岡谷のレガシーが同居する、趣の深い地域でした。

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ライター紹介:河西 美奈子

司書でスワんこプロジェクト(諏訪の文化を伝える紙芝居を作るグループ)リーダー。星と落語・講談が好きで、最近古道散歩にハマっています。
諏訪にはもっとディープな人が多いので、まだまだ序の口。
https://www.facebook.com/SwancoProject

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