諏訪神仏プロジェクトは、諏訪の地で育まれた神さまと仏さまが共存したかつての姿を振り返るものです。廃仏毀釈の難を逃れ、周辺寺院で大切に祀られてきた諏訪大社ゆかりの仏像や仏具、秘仏とされるものも含めて一斉に公開し、神さまと仏さまが同居する世界へと誘います。拝観のたしなみを守りながら、出かけましょう。
諏訪神仏プロジェクトは、諏訪の地で育まれた神さまと仏さまが共存したかつての姿を振り返るものです。廃仏毀釈の難を逃れ、周辺寺院で大切に祀られてきた諏訪大社ゆかりの仏像や仏具、秘仏とされるものも含めて一斉に公開し、神さまと仏さまが同居する世界へと誘います。拝観のたしなみを守りながら、出かけましょう。
一、静かにご対面し、歴史に思いを馳せる。
二、お手は触れずに、心で向き合う。
三、撮影や投稿はモラルとルールを守って。
四、神事・法要中はお静かに。
『諏方大明神絵詞』を著した小坂(諏訪)円忠の小坂氏に縁が深い古寺です。上社神宮寺由来の個性的な不動明王像、同画像を拝観できます。他に、寺宝として武田勝頼の安堵状(非公開)を蔵することでも知られています。勝頼の母、諏訪御料人の供養塔がある小坂観音院とも深い関係があります。
令和6年は公開なし
天正3年の下社千手堂再建の際、棟札に寺名がみられます。下社神宮寺系の寺院と住の行き来も記録されています。 本尊の阿弥陀如来は室町時代かともいわれ端正な坐像。観音堂の本尊はなぜか如来形の個性的な像で、木食仏のような民間信仰的仏像として貴重です。
令和6年5月26日(日)
下社神宮寺の末寺でしたが、創建の古さでは神宮寺に勝る可能性も秘めた古刹です。下社本地千手観音、三重塔本尊大日如来、ちょっとびっくりな「信玄不動」ほか、 下社由来の仏像多数。 美しく繊細な千手観音像は、本来60年に一度の御開帳。今回、特別公開です。
令和6年5月26日(日)
下社摂社小萩神社の別当寺でした。上社如法院由来の不動明王は、仏師ではなく社殿建築で高名な立川流三代富種の手になる大迫力の巨像です。ほかに下社由来の 十六善神図、上社由来の涅槃図なども必見。本堂内部も下社本坊を移築したものです。
令和6年5月26日(日)
下社方の名門寺院で、秋宮三精寺、春宮観照寺から多くの仏像を引き継ぎました。中でも三精寺阿弥陀如来は等身大の堂々たる坐像で、慶派黄金期の傑作です。地元では三精寺由来の地蔵菩薩「お日限(ひぎり)さま」で親しまれており、御開帳の縁日には門前が賑わいます。
令和6年5月26日(日)
鎌倉時代、下社大祝金刺氏が名僧一山一寧を招いて創建した県内最古級の禅宗寺院。門前石段脇の修験道場、敬愛社宝光院が春宮本地薬師如来像を引き取っています(諏訪湖博物館で公開)。苔むした参道から望む山門、枯山水や池泉庭園など、境内の美しさは特筆ものです。
令和6年5月26日(日)
歴代諏訪藩主の廟所(国指定史跡)を守る高島藩の菩提寺で、本堂は高島城の能舞台を移築したものです。多宝塔の中には、神仏習合時代の上社本宮御神体、石造の「お鉄塔」が安置されています。 御柱年のみの御開帳と定められており、今回の拝観も貴重な機会となります。
令和6年は公開なし(御朱印のみ対応)
上社「上り仁王門」(旧材は一部のみ)と仁王像を今に伝えます。参加寺院唯一の日蓮宗で、神仏分離の混乱の中、下取りによって保全された一例です。神宮寺と直接関係はありませんが、高島三代藩主忠晴の母、永高院によって再興された由緒正しいお寺です。
令和6年5月26日(日)
上社ともっとも縁が深く、上社本地仏普賢菩薩像以下、非常に多くの仏像、仏具等々を引き取りました。莫大な数の古文書も、諏訪の仏教史を知る上で大変貴重なものです。また、神宮寺仏ではありませんが、運慶工房の作とみられる不動明王像の名作も公開されます。
令和6年5月26日(日)
善光寺如来が飯田の座光寺から現在の長野市に遷る途中、7年間ここに留まったとの伝承をもつ「諏訪善光寺」です。上社本地普賢菩薩の脇侍だったという毘沙門天と不動明王、「下り仁王門」の仁王像を伝えています。いずれも等身大の堂々たる中世仏像です。
令和6年5月26日(日)
上社神宮寺の旧地に現存する唯一の寺院です。明治初年に廃寺になりましたが、しばらくして復興されました。釈迦堂由来の三尊像は鎌倉の銘を持つ県宝でしたが、平成11年7月焼失。しかし観音堂由来と伝わる観音像が、今回の調査で再確認されました。
令和6年は公開なし
下社由来と伝えられる薬師如来の懸仏が伝わっています。当寺が管理する白岩観音堂は、寺社建築で名高い立川流初代冨棟の出世作。意匠を凝らした美しいお堂は県宝指定を受けています。 その縁もあって、先代住職が集めた立川流彫刻のコレクションも必見です。
令和6年5月26日(日)
神仏分離の際に上社薬師堂の移転の地になりましたが実現していません。「格院」という、上社如法院、下社観照寺と並ぶ格式の寺院でした。今回は一斉公開にあわせ通常非公開の阿弥陀如来坐像(茅野市指定文化財)を特別公開。鎌倉初期の銘をもつ一木造の古仏も興味深い存在です。
令和6年5月26日(日)
「御柱街道」沿いに建ち、高島二代藩主忠恒が開いた穴山新田村を守るお寺です。上社薬師堂の旧本尊(鎌倉時代)を伝えています。本来の脇侍かどうかわかりませんが、激しく朽損した2体の一木彫像も謎めいています。境内の百仏百体観音石仏群も素晴らしい出来で、仏像好きは必見です。
令和6年5月26日(日)
御射山は別名「原山さま」といい、諏訪社の山宮ともいうべき存在。その本地仏・虚空蔵菩薩は、御射山祭で重視されていました。上社から原村の御射山社へと向かう神輿は多くの小社に立ち寄りますが、村の小仏堂に今も立ち寄って祝詞を上げ、神仏習合の遺風を伝えます。虚空蔵菩薩像、特別公開。
令和6年は公開なし
高原の村にあって、古き時代の趣を残す美しいお寺です。上社神宮寺、蓮池院由来と伝える仏像を複数受け継いでいます。端正な聖観音、保存の良い地蔵菩薩など。興教大師、弘法大師の両大師像は、江戸末期、近代の影響が入り始めた像様が注目されます。
令和6年5月26日(日)
諏訪と甲斐の境界近く、合戦の伝説を残す古村、瀬沢の里に位置します。同じ富士見町の法隆寺とともに、上社如法院の末寺でした。縁あって、現在、長泉寺の住職が法隆寺を兼務しています。
令和6年は公開なし
如法院の末寺だったため、同寺から多くの仏像等を引き継ぎました。寺としては観音堂を残すのみですが、大日如来、釈迦如来、不動明王等の尊像は、隣の乙事公民館で大切に守られています。拝観は公民館にて、御朱印は長泉寺でいただけます。
令和6年の公開はありません
全国に一万社以上と言われる諏訪神社の総本社で、日本最古の神社の一つとされています。上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の四座からなり、各社殿の四隅に計十六本の御柱を曳き建てる「式年造営御柱大祭」で全国に知られます。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。
通常参拝のみ
全国に一万社以上と言われる諏訪神社の総本社で、日本最古の神社の一つとされています。上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の四座からなり、各社殿の四隅に計十六本の御柱を曳き建てる「式年造営御柱大祭」で全国に知られます。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。
通常参拝のみ
全国に一万社以上と言われる諏訪神社の総本社で、日本最古の神社の一つとされています。上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の四座からなり、各社殿の四隅に計十六本の御柱を曳き建てる「式年造営御柱大祭」で全国に知られます。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。
通常参拝のみ
全国に一万社以上と言われる諏訪神社の総本社で、日本最古の神社の一つとされています。上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の四座からなり、各社殿の四隅に計十六本の御柱を曳き建てる「式年造営御柱大祭」で全国に知られます。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。
通常参拝のみ
諏訪湖の「御渡」拝観で有名。来歴不明の仏像2体があります。摩利支天像は六臂・女神形の非常に珍しいもの。隣接する甲立寺は八劔神社の元別当寺で、今も大事なお祭りにはそれぞれの宮司、住職が列席して神仏習合の風を偲ばせます。
令和6年5月26日(日)
旧春宮薬師堂本尊を中心に、下社神宮寺をテーマに企画展を開催。照光寺の本地仏によく似た厨子入りの小さな観音三尊像や東照大権現像など、下社神宮寺最後の住職の末裔である神山家に伝わった什宝を初公開予定。
常設展示のみとなります。
神仏習合時代の諏訪上下社境内を生き生きと描いた『遊楽図屏風』をメインに、企画展を開催。また常設展でも、上社五重塔の本尊だった五智如来像(萬福寺蔵)や上社神宮寺のジオラマなど、魅力的な展示を見ることができます。
常設展示のみとなります。