2022年4月、1200年以上の歴史のなかで初めての景色が広がりました。トレーラーで御柱を運ぶ景色です。
新型コロナウイルスの影響を受け、今年2022年の御柱祭では上社・下社ともに人力での山出しが中止となり、史上初めてトレーラーを使って御柱を運ぶことになりました。
普段なら3日間かけて山から里へと曳かれてくる御柱ですが、今回は下社は2日、上社は1日で里までやってくる。木落しや川越しと行った「難所」もない。トレーラーで運ぶ御柱祭というものがいったいどういうものになるのか、地元出身の私たちにも想像できずにいました。
そんな「史上初めての御柱祭」を諏訪旅も見に行ってみました。
木遣りとラッパが鳴り、誰も経験したことのない里曳きがはじまる
4月2日、今回の御柱祭の幕開けとなる上社の山出しが行われました。出発点は原村。朝8時過ぎに向かうと、曳行を待つ御柱の周りに氏子が集まっていました。
今回の山出しでは、密集を避けるために集まる氏子の人数も制限。出発地にいる氏子は各地区の一部の人のみとなっていました。
曳行といってもトレーラーで運ぶだけなので、あっさりとした、あまり実感のないものになるんじゃないか。そんなふうに思っていたところで耳に飛び込んできたのがおなじみの木遣りでした。
木遣りは御柱祭に欠かせないもののひとつ。普段の御柱祭では、木遣りを鳴いて、続くようにラッパ隊がラッパを鳴らすのを合図に氏子が御柱を曳きます。それも一発で動き出すとは限らず、何度も鳴いて動き、止まってはまた鳴いて動く。御柱祭では常に木遣りとラッパが響いています。
逆にいえば、木遣りとラッパの音を聞くと諏訪の人間は御柱祭を実感します。ふしぎなもので、普段よりずっと少ない人数しかいないながらも、見ている私たちもわずか20分ほどで「おお、お祭りだ」という気持ちになっていきました。集まっていた氏子たちも、想像とは違って皆笑顔で楽しんでいるように見えました。
トレーラーに御柱を積む作業は粛々と行われていきましたが、「いよいよ御柱祭」という雰囲気がありました。
沿道には御柱を待つ氏子たち
出発時刻が近づくころ、近くの沿道には氏子たちが地区の旗を持って待機していました。普段ならもちろん御柱のすぐ近くにいて、実際に曳行に関わった人たちでしょう。御柱を載せたトレーラーがやってくるのをずっと待っていました。
トレーラーが通過するときに備えて「よいさ! よいさ!」というかけ声の練習も半ば自然に行われていました。
さらに、まとまって何かをしているわけではありませんが、法被を着た氏子たちもチラホラと集まってきます。今回、御柱が通る道は交通規制もかかっておらず、いつもどおり。だから、散歩するようにあちこちから氏子が歩いてきていました。
人数制限があって出発地には入れなかったという氏子さんは「(出発地に)入れない、来るなと言われても無理だよね(笑)」と沿道で御柱を待っていました。
「予定どおりに行かないのが御柱」
予定ではそろそろ御柱がやってくる時間。そんなころになってもまだ御柱はやってきません。
御柱の積み込み作業はスムーズに行われていたので、おそらくいつでも出発できる状態だったと思います。ですが、出発地の方向からは何度も木遣りやラッパの音が響いてきます。
沿道の氏子からは「まあ予定どおりにいかないのが御柱だから」なんて言葉も聞こえました。確かに、なかなか動かず、繰り返し木遣りとラッパが響くのはいつもの御柱祭でもよくあること。
トレーラーでの運搬ということも含めて「予定外」づくめの御柱祭ですが、たとえ人力でなくても木遣りとラッパが鳴らねば御柱は動かないのだ、と思いました。
木遣りとラッパが聞こえれば御柱祭
やがてトレーラーが動き出し、目の前を通過していきました。今回の山出しの「曳行」です。
私たちも曳行の目的地、御柱屋敷(御柱を里曳きまで安置する場所。実際に「屋敷」があるわけではないですが、この名称で呼ばれています)へと向かいます。
すると、沿道にたくさんの氏子が待っていました。
原村のたんぼ道を歩くと、テーブルを出している人たちが。自分の田んぼで御柱祭を楽しんでいるそうです。
「こんな御柱祭は生まれて初めて」と話すベテランの人たちですが、「それでもやっぱり楽しみ」といいます。「木遣りとラッパを聞くとダメだね。今日は飲んで終わりだ(笑)」と笑いながら飲んでいました。
普段とは違ってトレーラーなので着いて歩くこともなければ、見るのも一瞬。ですが、「集まれば御柱の思い出話だわ」といい、「メドデコ(上社の御柱の前後にV字型に付けられる柱。ここに氏子が乗る)から見た景色は今もハッキリ覚えてる」と、御柱祭にまつわる話で盛り上がっていました。
山から里へと近づくにつれてさらに道は賑やかに。法被を着た人たちが歩道や道ばたに立って、にこやかに御柱の通過を待っていました。
山から里へと御柱を運ぶ山出しは、上社・下社ともに数々の難所がある厳しい行程。普段は安全のためピリッとした空気が漂うことも多く、怒号のような声が飛び交うこともあります。
御柱を載せたトレーラーが通過していく一瞬を待ちながら、のんびりと過ごす人たちで賑わう山出しは、ふしぎな光景でもあり、普段とは違う楽しさがありました。
静かだけど賑やかな曳行
原村を出発して数十分後、御柱を載せたトレーラーが御柱屋敷へとやってきました。長い柱を載せたトレーラーが御柱屋敷前の狭い道へと入っていきます。
御柱屋敷を見下ろす川沿いの道には氏子たちが待っていました。
土手から御柱を見る人たち、川を挟んで様子を見ている人たち。法被を着た人もいれば、普段着で見ている人たちもいました。
改めて思い返すと、御柱屋敷付近は大声が上がるわけでもなく、普段の御柱祭からすると静かなものでした。ですが、なんだかとても賑やかなものだったように記憶に残っています。
それは久しぶりにこのあたりでたくさんの人が歩いているのを見たのもあるでしょうが、それ以上に、集まった人たちの笑顔が印象づけた賑やかさだったように思います。静かだけど、「御柱祭だ」という高揚感が沿道や御柱屋敷の周辺には漂っていました。
5月の里曳きは上社・下社ともに人力曳行
山出しが終わり、5月3日から5日には上社の、5月14日から16日には下社の里曳きが行われます。
史上初、トレーラーで御柱を運ぶことになった今回の山出しでしたが、里曳きは上社・下社ともに従来どおり人力での曳行が行われることになりました。
観覧は自粛が呼びかけられていたり、普段とそのまま同じとはならず、こちらもコロナ禍での特別な側面を持った実施となりますが、形が変わっても御柱祭の特別な熱は変わらずあるのかもしれない。そんなふうに感じる山出しでした。
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